日本でオーダースーツを仕立てるならどこがいいか 5

今年に入ってからときどき日本で服を仕立てたいと思うことがある。若手で色々な人が出てきて話に聞く機会も増えてきたり、日本の友人達も彼らが仕立てた服を着ている事も多々あるからなのかも知れない。
以前にも少し触れたが日本のテーラーや海外サルトリアのトランクショーで良く作る友人2人に見せて貰った主にここ10年内に誂えたものの中で良いなと思うものやこれは余り良くないなと思うものもあったので、まずは値段など事は気にせず少し書いてみようと思う。

着心地やら稼働などの体感は僕がオーダーしたものではないし僕には小さくて着れなかったので友人2人の所感になるが一応自分がどこで作るかと考えて参考に色々見せて貰ったり聞かせて貰った。

勿論こんな話はどこの飯屋や料理が旨いだ不味いだ程度の主観的な話だろうけどね。


上木規至のSartoria Ciccio(サルトリア チッチオ)
僕はどうもラペルの感じが好きではないので作る事はないだろう。

作りは非常に綺麗なスーツだと思った。
丁寧で妥協の無さが随所に見られ、着用感は軽く柔らかく着心地も良くストレスの無く肩回しなどの稼働も良いとの事だ。縫い手の腕はかなり良いと思う。パンツはカットのみで縫製は外注のようだが上手い縫製だ。
見せて貰った友人のものはシングルだったが他のシングル・ダブルのどの画像を見ても格好良さやエレガントさなどは微塵も感じなかった、寧ろダサいさや変だと感じる、前から見ると胸元だけに視覚的なポイントが圧縮されてる感じがし、少し離れて見ると顔の大きさや撫肩が強調され貧弱に見えるし、横や後から見るともれなくかなりの猫背・前傾姿勢など姿勢が悪く見える中々器用な上衿、ナポリ仕立てのボディに昭和のザ日本ラペルを無理やりくっ付けたような印象を受ける。その友人に実際着て貰っても吹いてしまうくらいに滑稽に見える。その友人も仕立てたは良いが外では恥ずかしくて1度も着ていないとの事だ。
仕立て服はその人に合わせて体型補正し逞しく男らしい良い体型や小顔に見せてくれるのも機能の1つなのだろうけど、全てに逆を行っていると思う。サッカー選手の三浦知良のような逞しい体型の人でやっと普通の体型に見える。何がしたいのか何の為のスーツなのかまるで分からなかった。モデリストとしての能力が低いのだろうか。
好みの違いではなく誰にでもそう見えるとは思う、しかし今年店の前を通った時に沢山仕立て中の服があったので売れているだと思うからこの感じが好きな人が日本人には多いのか、それとも有名で値段も高いからそれで買う人が多いのか。ま、彼の中で完成してるのだろうから将来的な変化もないような気がする。


甲祐輔のSartoria Cavuto(サルトリア カブト)
これは非常に良かった、オススメだ、是非僕も作りたいと思った。

作りは丁寧で細部まで端正で綺麗に仕上がっていて、妥協の無さや拘りも随所に感じ全てにおいて高い技術水準で、外観からもその仕立ての良さが伝わる。着用感はここも軽く柔らかく着心地も良くストレスの無く肩回しなどの稼働も良く、パンツも縫製は外注だが非常に履き心地が良く足捌きやしゃがんだ際や立ち上がりの際もノンストレスで良いとの事。
服は着て格好良い事が1番大事だという事が良く分かるスーツで、フィッティングも非常に良いがモデリストとしての能力の高さもとても感じる。着用した友人を見るとこのように見えるようにしてくれと言った事が分かるし、きちんと視覚的な部分や体型の補正も構築され行われているのが分かる。数多くの所で仕立ているその友人も大満足の男らしく色気のあるスーツだ。
LIVERANO & LIVERANO(リベラーノ & リベラーノ)で修行したのに自分の師匠はFrancesco Guida(フランチェスコ グイーダ)だという所から窺える彼の性格も好きだ、もしくはやはりご存知の通りAntonio Liverano(アントニオ リベラーノ)が余程。。。
是非作ってみたいが彼が東京に来るタイミングと自分が帰国するタイミングが合わないと難しそうだ、自分のタイミングでオーダーするなら彼のアトリエのある石川県金沢市に小旅行がてらに行くのが良いのかも知れないな。


直井茂明のSartoria Naoi(サルトリア ナオイ)
真のサルトリアナオイが出るのなら作ってみたいと思った。

作りは見た中では1番丁寧で綺麗な部類に入る、とても端正で高い技術を感じるし上手い、彼は確か国内でしか学んではないと思うが別に海外に修行に行かなくとも技術は身に着けられるという良い例でもあると感じる作りだ、ボタンホールも美しい。
着用感は軽さや柔らかさやフィット感は非常に良いそうだ、着心地も良くストレスの無く、特に肩回しなどの稼働が良く、パンツも自前で縫っているようで非常に履きやすいとの事。
ただ以前悩める30代というブログ主がオーダーした服の肩回りやラペルを見ると吹いてしまう位のやり過ぎ感があると少し触れたが、僕の友人が仕立てたその服はそれ程イセ込や攻めたフィッティングがされておらず、ラペルも当人の顔や体型に合わせた感じで体型も補正され、これはこれで良いかと思える感じだった。綺麗に構築するなと思う、アイロンも巧いんだろうな。
予想だが彼の所属するセレクトショップSharon(シャロン)の指示や意図があるのだろう、多分あのブログ主の服はSciamat(シャマット)を模写させて作っているのは誰もが1目見れば分かる事だし、新しいモデルも画像で見る限りだが上記のサルトリアカブトに似ているというかベースにしている感じだ。技術的な部分は非常に高い水準にあるだから、シャロン色を捨て直井本人のハウスモデルというか本当の意味でサルトリアナオイの服が仕立てられる時には作ってみたいと思う。今のままではシャロンと一緒に心中するだけだと思う。


山口信人のLA SCALA(ラ スカーラ)
特に惹かれるものは無かったので作らないと思う。

綺麗な服を仕立てるなと思う、ここも日本人らしく非常に端正で丁寧だ。
着心地も良いそうだが、どう見てもサルトリア ソリート(Sartoria Solito)に似ている、そこに長く勤めれば手癖やら作るものが似ているのは当然なのだろうけど彼の場合は確か短期の休暇を2度利用し少し下働きした程度だというから完全にただ単純にパクってるだけなのだろう、今度はSciamat(シャマット)かSartoria Naoi(サルトリア ナオイ)を模写したであろう非常に似たモデルも出している所から察するに、そういった部分に関しては本人には創造性や美的センスなどの意匠やサルトリアとしての信念などは無いと感じる。それともそれを伊勢丹やアル中のオッサンがさせているのか。ならば腕は良いのだから早くそこから脱した方が良いじゃないのかとも思う、直井同様に少し意識してるとか似ている位ならそういう服が好きなんだな程度や模写は学びの基礎や第1歩だから些末な事で悪い事ではないのだろうが、ここまで似ているとちょっとと思う。確かにシャマットやソリートに比べれば安いし作りも丁寧なのかも知れないからそれで買う人も多いのだろう。


東徳行のSartoria Raffaniello(サルトリア ラファニエッロ)
欲しいとは思わなかったので余り書く事はない。

パターン投げ工場製に毛の生えた感じだという雰囲気が漂う服だと思った。出来合いの芯地に今や袖付けも外注だそうで友人が作ったものも何だか野暮ったくて変だった、着用感を聞くと結構当たる場所がありストレスがあると言うし、着用した感じも余り格好良くないからフィッティングというかスタイリングも余り上手くないんじゃないかと思う。

tailor 大島崇照
これは是非作ってみたいと思った。

英国で修行したので英国風のカチっとした構築的な仕立てでとても美しく、きちんとした高い技術で丁寧な仕事をしている。着心地や稼働もとても良いようだし、フィッティングも上手く来た当人を知的で逞しくスタイリング出来ている。しっかり打ち込まれた良い生地で作りたくなる感じだ。確か今は大阪に居るというから機会があれば行ってみたいと思った。

ちなみに上記の東・大島はストラスブルゴ出のテーラーで、ストラスブルゴは頻繁に色々なサルトリアのトランクショーもやっているがそのサルト2人から、東と松熊は酷いと直接聞いたからプロの目から見ても酷いものなのだろう、逆に大島は非常に堅実で丁寧な良い仕立てをすると高評価を聞いた、先日他界した某サルトも国内での直しは実際仕立てたものや仕事を見て大島のみに許可を出していると、東の事は上辺や見える所だけナポリっぽい真似事をして中の仕事は全くのゴミだ、そこが許せんとも言っていたな。
松熊良太・Pinorso(ピノルソ)はただただダメ過ぎる、確かリングヂャケットだかどこだかの1ライン工だったので当人はきちんとした仕事は出来ず適当な作りに外注頼り、フィッティングも下手、その辺りの全てのダメさが外側に滲み出ている。流石にその辺りが一目瞭然なので買う人は余り居ないとは思うが。ついでに彼らはORAZIO LUCIANO(オラッツィオ ルチアーノ)も含めてオラッツィオ・東・松熊とは一緒にされたくないとの事だ、一般的に見れば同じ店で扱われていれば客はサルトリアの内の1つとして一括りとして見てその3者も自分も服を仕立てる選択肢となり好みや値段だけで同じような仕事をすると思われる事に非常に懸念を抱いていたな。料理と同じく単純に修行が足りない感が否めない。


沢山見せて貰ったが切りがないので今回はこの6名を書いてみた。
仕立てた友人達と僕が実際に見て触らせて貰った所感に過ぎないし、特に見た目に関しては好き嫌いがあるし顔や年齢や体型によって似合う似合わないもあるとは思うからそれが良いと思う人はそれで良いとは思う、所詮は物、車だって何だって趣向やら評価はまちまちだろう。
それにまだ皆若い人達なのでこれから先良いサルトになる可能性も大いにあると思う。ただ僕は根本的な仕立て服に対する考え方がそれじゃ変わらないんじゃないかと思う人も居るし、センスや技術も大して伸びないんじゃないかと思う人もいる。勿論エンジェル投資家感覚で彼らの研鑽の為実験台となり応援したいと思っている人はそれはそれで非常に良く素晴らしい事だと思う。

今回挙げた中で僕が作りたりと思ったのは
甲祐輔のSartoria Cavuto(サルトリア カブト)とtailor 大島崇照
の2人、ただその他も含めて日本人の作るものはやはり丁寧で綺麗だなと感じだ。変化があれば直井茂明のSartoria Naoi(サルトリア ナオイ)も良いとは思った。
まだ老舗やら他の人や工場製なども色々見せて貰ったのでまた今度書こうと思う。ま、書いた所でこんなブログ見てる人も大して居ないだろうし、オススメ書いたところで誰の何の為にもならないとは思うけど。。。

月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。。。漂泊思いやまず。

スイスに行っていた、と言ってもチューリッヒはローマから飛行機で1時間半でほぼ時差も無く、東京から北海道や福岡に行く程度だから旅と言うほどでもないか。
昔から旅は好きでほぼ1人旅で30以上の国に行った、カメラも好きで行けば色々撮る。年に1度は行った事のない国に行くし同じ国でも違う場所に行く事や、日本に帰った際にも行った事のない場所へ1.2泊程度の小旅行は良く行く。最初の1人旅は高校1年冬休みの時の京都奈良大阪8日間だったな。今年はカザフスタン・ウズベキスタンへ行った、今はマダガスカルに行ってみたいなと思ってる。

しばしば人生は旅であると比喩される事があり

人間の幅を広げるものは3つ、人と会い、本を読み、旅をすることだ
世界は一冊の本、旅をしない者は本の最初のページだけを読んで閉じてしまうようなものだ
長生きするものは多くを知る、旅をしたものはそれ以上を知る
人生は恐れを知らぬ冒険か無だ
幸せとは旅の仕方であって、行き先のことではない

そんな事が言われるのも分かるような気がする。
勿論体験にお金を払うタイプかそうでないかという価値観もあるが、僕は貴重な体験は貴重な物よりも価値があると思ってる。それは学びに対しても近しい感覚なのだろう。
確かに旅はその過程にこそ価値があり、寛容・謙虚さや新たな視点を教え、人間そのものの小ささを悟らさせ、全く違う価値観や精神性、他国に対する間違った認識に気付き現実をありのままに見れるようになり、祖国や日常や友人や家族への愛やそれが何であるかに気付かされる事も多い。
勿論世界遺産やその国の有名どころも良いが僕は現地の人がローカルな場所や物事もとても好きでそれも楽しみたいと思ってる、だから一応大枠の計画やスケジューリングは調べ立て行くがその場その場で結構変わる、まさに適当に臨機応変にだね、実際現地の人に聞くとそんな場所に行っても意味無いよ、ここへ行けよとかここの飯屋は美味いよって聞くのでそちらに行く事が多いな。外国とは初めて来た人が快適に過ごせるように最適化され作られているのではなく、現地の人が快適に過ごせるように作られているのだろう、だから合わないや違和感や不便を感じると妙な嬉しさや好奇心を掻き立てられる。
旅はいい、別に現実逃避の為に行く訳ではない、希望と若さを胸に与えくれる、写真や覚えてる事以上に実際は潜在意識に刷込まれ戻ってきた時には変化を与えている。
何か新しい事をしたり、行った事の無い場所に行くのは時間の流れを知る事とその調整にもとても良いと思っている、行き道は新鮮でとても長く感じる、帰り道は既視感と惰性感を伴い早い、子供の頃は多くの物事が新しい情報だったから1日、1ヵ月、1年をとても長く感じられたのと同じでそれをする、近しい相対性理論の類かね。
花を見て美しいと思うか思わないかその人の心次第なのだろう、旅も同じで美しいや楽しむ心が無ければ何処へ行っても何を見てもそうなのだろう、それは全て同じ事か。
ま、全ては心の持ちよう、心持ち1つで旅に出ずその感覚をきちんと普段の生活の中で享受しながらそれと意識せず邁進し変化し続けられる人、例えば東京に居たってサハラ砂漠やアマゾンのジャングルをサバイバルし旅するとの同じ感覚を持てる人はも居るのだろう。

スイスへは何人か友人が居るのでたまに行くが今回は1日目はベルン、2日目はチューリッヒだったが共に昼食は友人ととり夕食までは1人で周辺を見て回った、7月辺りだとベタだがハイキングし自然の中で食事をしたりすると気持ち良い、今はもう大分寒い。EU圏の友人達の所へは2ヵ月に1度位はこのような感じで行く事が多い。

夜は友人の家に泊めて貰う事が多いのだけれど2日目に泊めて貰った友人の家で、夕食をご馳走になった後ワインを飲みながらその内の1人が最近ハマッているというマジックを披露してくれた。
ちなみにスイスのワインは凄く美味しくて好きだ、昔ワイナリーにも行った事もあるしシュプリングリ(Sprungli)のチョコレートと一緒にいつも買って帰る。99%国内で消費され1%しか輸出されないので馴染はないかも知れないが、ワインが好きな人でもし飲んだ事がないのならオススメだ。

肝心のマジックショーは中々のものだった、自分がそうだと思い込んでいるものを利用されるから中々分からないもんだ、タネ明かしをして貰えば見えなかったものが見えああそうなんだと思える事もあれば、それでも分からないものある。タネなんて大体大した事の無い事だ。

マジックでは様々な理論が駆使されている、マジックの知識が無く既存の自分の知識に頼って真剣に見れば見る程に分からない、注意の認知心理学や誤認誘導、ミスディレクションというのか、脳はすすんで騙される、見ていて非常に楽しいしそこから色々な事を学ぶ事が出来る。これはミステリー小説などでもそうだし、実際の現実の世界でも良く使われているテクニックだろう。
小説の場合は事件の真相が誰にとっても興味があることであり、それを見つけることが重要視される、事実というそれなりの理由・辻褄・価値・利益などがなければならないしあると思い込んでいる。けどマジックの場合は本当の事実は大して意味を持たないし、目的はイリュージョンというか虚構の疑似体験をさせ客を楽しませるという現象なのだから事実というのはただの1仕組みでしかないのだろう。観客にとって価値ある行動を促し、かつ疑念を持つことすら忘れさせ、その時に観客にとって無価値なところで適切に誘導させる。ミスディレクションは演技が始まった時から終わるまで常にかけ続ける、連続性のある滑らかで歪みのない自然な流れを崩さず最後まで一つの筋道を誘導しつづけ結果だけを与える。目立つものには人は注意は向くが数多くの路傍の小石の形は気にも留めていないし形なんて覚えていない。コインやサイコロを振るとかカードを切るとかポケットから何かを出すとか袖を捲るとか数字を思い浮かばせるとか価値のありそうな事の方には大した意味はない。
例えばミステリー小説での遺産相続なら1番疑われるのは1番利益のあるものだろう、そして2番目3番目と順にだ、怨恨かって事もあるだろう、っぽいって事、ただこの場合は大した事実も理由も無くていいのだから寧ろ最後まで名前も無き20番目以降の利益者が数人がささやかな気持ちや利益で行う、理解無き事とハッピーエンドが良い後味なのだろう。これは現実にもよくある事か、もっともらしいスケープゴートでのハッピーエンド、事実は小説より奇なりばかりだしね。ま、マジックも星の数ほどあったり同じ結果でもやり方の違いもあるのだろうけど。

人は見たいように見て、聞きたいように聞いて、信じたいように信じる。
自分がそうであって欲しいと思うようなものとして自分勝手に見る。。。自分に都合の良いように見てしまったり、無意識に見たくないものを見なかったり、わかったつもりで都合よく解釈を捻じ曲げ早合点し思い込みで結論づけたり、因果関係を狂わせても信念に合うような解釈をしてしまったり、それは自分の自尊心が気付かないようにであったり。大概は潜在意識から無意識的に行われる心理行動、感受性の低い人は何かを観察する時、自分の先入観や固定観念に合う情報ばかりを選別し受け入れることで自信を深め、自己の先入観が補強される現象がある、自分が望む物語に沿った真実を理屈こねて作り出す。納得したいのだろう、不安から懐疑や矛盾が生じないように物語を作りうまく説明がつけばそれ以上の原因究明をしなくなる、確かに納得は全てにおいて優先する感情だ。それでもしっくり来なければ興味を失うという除外法で解決する。何とか効果の話とかは別にいいか。。。

現実が推察した通りなら皆億万長者や成功者だろう、資産や所得の額という数値は正しさの1尺度としてはあるのかも知れないとも思う。

また旅やマジックの話からそれてしまったが、とても良い時間を過ごせて良かった。
普段はお堅いバンカーで働く友人のコミカルなトークとマジック演技に笑ってばかりで、3つ見たマジックの1つも分からなかったな、僕も習ってみようかな。

 

人生という時間は有限で、長い様で短い。時間とは命そのもの。

昔から自由に生きたいと思っていた。幼き頃蟻とキリギリスの話を聞いて僕はアリギリスになるんだと言っていた、人生は太くて長い方が良いに決まってる、遊び心と好奇心と向上心が大事だろう。

社会人になり1番初めに学ぶのは時間やタスクの管理、スケジューリングと言うのか。僕も1時間毎記録を取り常に修正改善している。時間管理は人生管理、1日は24時間で誰にも平等だがそれを30時間あるかのようにする、24時間の使い方や中身やベクトルが違いその積み重ねが人生そのもので、結果である今や未来が違う。
基本の時間の使い方が下手な人はお金やエネルギーの使い方も下手な人が多いと思う。

一般的に言うような忙しくてやりたい事が出来ないとか、時間が足りなさすぎるとか、それは時間を上手く使えてないだけで時間管理を学べば簡単に時間を生み出しより豊かな人生が送れると思う。

勿論それが全てでは無いが、現代社会では豊かさや幸せにはある程度のお金というものが必要だとは思う。
時間もお金もただの数字だし、儲ける事、楽して稼ぐ事は凄く良いだと思う。そのお金を今より更に生み出すにはその為の時間が必要なのだろうからまずは時間作りが先で、潜在意識的に家庭環境などで身に付かなかった人はそれを勉強するのが良いとは思う。勉強は方向性や仕方を間違えると無意味というか活用出来ない。学ばなければチャートも読めんしコードも書けんし、整理整頓が出来なかったら基本から整理整頓を学ぶ、大体30分考えて答えが出ないような事は最早その人の中に答えはないのだから。

例えばファッションや身嗜みに関してだって、30歳とかいい歳になっても自分が思っているような着こなしが出来ていなかったり、もしくは自分が得たいと思う評価や他人への印象が得られていなかったり、自分に似合う似合わないが分からなかったり、買い物で同じ様な失敗や後悔をしているのなら、それは今まで参考にしてきたものが間違っていたり、依存している価値観が間違っていたり、通ってるお店が間違っていたりするんじゃないかなと思う。
その根底となる自分自身の考えや価値観がそうさせるのだろうけど、何故それを買ったのかとかタグやブランド名がなくてもそれを買うのかと考えれば、何が自分を間違った方向へ進ませているのか分かるし、一旦今まで見ていた雑誌やメディアやお店を止めるなり変えるなりし、自分を見つめ直し羨望や憧れを捨て理解する、基本から学び自己認識能力や美的センスを磨けば同じものでもイメージ通りの良い着こなしは出来るとは思う。
一生ものと呼ばれるような高価なものでも新品や大して使用せずフリマサイトや中古屋に個人から出されているのを見ると余程裕福な人が多いのか、そんなにコロコロ趣味が変わるのか、自分に合う合わないも含めてそんなに物を見る目が無くて買い物が下手な人が多いのかとたまに思う。
大体朝出勤する人ならその日の着こなしをその日に考える事も時間の無駄だと思う、これもその日の天候や気分によって色々考えるのが楽しいし好きって人も居るのだろうからそれはそれで良いんだろうけどね。
ちなみに僕はパターンというかセットが決まっているのでその日に被服の事を考える事は0秒、自宅に仕事部屋も運動部屋もあるから移動0秒。

人生80年なら、1日24h、1ヵ月/30日720h、1年/356日8544h、10年3650日85440h、80年29200日683520h。例えば1日24hを大きく3つに分け睡眠8h、仕事8h、プライベート8hだと、1ヵ月で10日、1年で4ヵ月、10年で3年4ヵ月、80年で27年もただ寝ているから実際は53年しか人生は無いようにも感じられる。
全ての時間を含めて人生なのだろうけど、僕はその3つの時間なら睡眠は健康に一番ベストな時間、働く時間は極力少なく且つ感覚や脳の向上範囲時間で、プライベートの時間は極力長い時間を過ごしたいと思って生きている。

例えばDoorToDoorで通勤時間往復1時間、週3運動に往復30分なら計6時間30分、1ヵ月で26h、1年で13日、10年で130日、40年働くなら520日、1年半もただ移動してるだけになる。人が1日にスマホを見る回数は平均110回、日本では平均利用時間は3時間20分、利用1位LINE、後はSNSやYouTubeやゲームアプリなど。もし1日に暇を潰す為ダラダラとTV見たりスマホ弄る時間が2時間なら、週で14h、月で60h、1年で30日、10年で300日。一般的社会人が何か物を探す時間は1日30分だと言う、週3h半、1ヵ月で15h、1年で180h7日12h、10年で75日、無意味な飲み会や付き合いなど切りがないが。。。
でも1年で移動やダラダラとした暇潰しや物探しなんかに1212h/51日も使ってると考えると勿体ないなと感じるな、1212hじゃ1日8時間働くなら152日稼働分も無駄にしている事になる、時給1000円でも121万。
僕はメールなどの返信は即時対応や重要でないものはメッセージタイムを決めそこで返信や遣り取りをする、家電やベルから使ってたら訳無い。
例えばそれを削れば1日4時間、1年で152日分、こうして時間管理によって生み出した時間でやりたかった事をする。そのままで意図的に作り出さなければ時間は待っていても出来ないし、大事な事は折角造り出した時間で普段と同じ事やその延長線上の同じ事をしては無意味、元々無かったものだと捉えてやりたい事の為にのみ使う。
段階的にでも良いとは思う、まずは生み出した自由時間を使って、もっと自由時間を生み出す。30分自由時間が増えたのなら暫くはその30分で更なる時間管理や24時間の時間割、濃度と質と量を増やす為の時間にすると、次の段階では更にプラス1時間作れそこでやりたかった事する。時間的なレバの効く作業を増やしルーティンなら効率化や自動化やシステム化すればいい、止めても問題ない事は止めればいい。

勿論ぼーっとするのが好きならそれは好きな事だから良いし、1時間ぼーっとすると決めてするのも良いと思う、暇を潰す為だけにソシャゲーをするのは金を払って命を無駄にしているのと同じだと思う。

何か新しい事をする時には潜在意識と顕在意識、ホメオスタシスとトランジスタシスの作用の中で無意識からそれをさせまいと潜在意識が固定するセルフイメージへ現状維持させる力が精神的にも肉体的にも働く。それをしたり選ぼうとした時に意味もないリスク感や不安といった声や感情としておきる迷いは大概はこれ。生きる為には必要な機能だし、そのセルフイメージを書き換えて逆に自分が必要だと思う事や理想の為にやらなければいけない事を習慣化しセルフイメージにすると逆にそれは強い味方にもなる。
大体90日、3ヵ月位で習慣化しセルフイメージは書き換わる。運動も初めは何やかんや理由を付けてサボらせるようにこの現状維持機能は働くが、3カ月も続けは苦にはならないし1年もやれば逆にやらずにはいられないとかやらないと気持ち悪くなるように働くし、ダイエットだって同じだろう。本当に時間が無いなら30分早起きでもして時間管理を開始すればいい、すぐに慣れる。まずは新しい事の為の勉強を1時間とその実践や確認に1時間だろう。

シンプルな何かをしている時はシンプルな何を重ねてダブルタスクでやればいい、子供の頃に二宮金次郎の銅像の銅像を見て話を聞いただろう。例えば僕は家で筋トレや運動や車移動や食事を作る時などワイヤレスで論文や本や学習を音源で日2時間以上は聞いている、記憶度や理解度はどうかと実際それだけを読んだり聞いたりした場合と書き出して比べて見たが僕はそんなに大差はなかった。
隙間時間を有効に活用するのも大事で、何かを待つ時間10分も積み重ねれば膨大な時間になるし手元にスマホがあればある程度何でもできる。メモ書き程度でもリストアップや考えや案のタネを書き留めておけば、いざ作業をする時にすぐに出来るしいきなり書いたり作るものより良いものになる、その瞬間の閃きや気が抜けた時の方が色々柔軟で良い事を思い付く。アーティストだってどこでも思い付いたら歌詞やらデッサンをメモるだろう。

処理力での結果なら10の処理しか出来なかったものを効率化やシステム化、自動化に1時間使い100処理出来るようにするのだろうし、戦略や質での結果ならそれで10の結果しか得られなかったものを効果を上げる為のアイデアやクオリティ向上により100得られるように1時間を使ってするのだろう。金額で表せば1時間1万だったものを10万円。自動化できれば手動の1時間は24時間に化ける、良いレバだ。両方からの生産性の向上が必要だろうけど、本当に重要な情報だけ見れば1日複数の会社やプロジェクトを管理する事が出来るし、処理の方は大概は外注やシステムがある。
パソコンが古くて重くて効率が悪いなら最新の良いものに変えるべきだし、1軒屋で掃除が大変ならハウスキーパーやメイドを雇うべきだと思う。別に外注、ソフトやシステム、最新機器は贅沢とかって話ではなくて経済的な選択でしかない、時給1万円を生み出す人が家の庭手入れや拭き掃除まで含め12時間掛るなら業者を雇った方が余程安いしエネルギーの温存にもなる、寧ろ自分でやった方が大きなマイナスだ。社だって社員を雇ってるんだから外注だろう、これからはそれをAIした方が良いって事だろう。

僕は塾の類は通った事がない、方針で勉強を教えて貰う為に行く費用はそれが自分自身の力でクリア出来ていた場合はくれるというやり方だった、レベルなどは常時話し合った。小中学生の平均月謝が1万円なら1万円貰え大学予備校代も貰った。そのお金を資金したんだけどね。高校に入る頃には何故こういう方針なのか良く分かった。

話を戻すと、重要な事は時間とは命そのもので、本当に尊いかけがえのないものだと捉える事だと思う。時間の無駄遣いは命の無駄使いや浪費したって事。人生で一番若いのは今この瞬間だからそこ無駄にしない、時間が過ぎているではなく時間が減っていると考えれば自ずと無駄な事もしなくなる。時間について学んだり考えたりする事は人生について学び考えたり深める事であり解放だと思う。
そう考えると全てが前向きに一生懸命に捉えられるし、仕事だけでなく遊びやプライベートの質も変わるし、命を使ってると考えるとただの暇潰しや寂さの紛らわしでは無く人生を楽しむ為の趣味をしようという気にもなれるし人生を楽しみ充実させる達人やプロになれると思う。

僕はそうやって作った時間で毎日、友人や家族と2時間ゆっくり夕食を取り、映画を1本見て、趣味をしたり様々な好きな事をしている。
無駄、無意義や有意義などは人によってそれぞれだから、それを下らない無駄だという人もいるのだろう。

目の前で砂時計や蝋燭の火の様に過ぎて行くような感覚で捉えてる訳でもない。
出来た時間を更に収入を上げる為に使うも趣味に使うも良いと好きにすればいいが、ただ無意識に去る、記憶に残らない過ごし方はしない方が良いと思う。

お金持ちは時間持ちと言うけど、そうでなくてもまずは時間持ちにはなれる、だからその人次第で充実し豊かにも幸せにもなれると思う。

Sartoria CAMPAGNA サルトリア カンパーニャについて

彼がこの世を去りもうすぐ1年が経とうとしている、イタリアを代表する偉大なサルト、ジャンニ カンパーニャ(GIANNI CAMPAGNA)
昔から彼の仕立てる美しく重厚感のある服が好きで何度となく作った事がある、実は昨年また1着仕立てようかなとタイミングを考えていた間に彼は逝ってしまった。。。

イタリアで最も有名な最高と称されるサルトのうちの1人であろう。
やはりフォーマルな場やお堅い場に行く時に自然に手が伸びるのは英国や北イタリアの仕立て服、その中でもカンパーニャの服はイギリスの質実剛健さ、フランスの洒落感や上質な機微、イタリアの華やかさや逞しい男性像が絶妙なバランスで相まっていて貫禄や格のある服で僕は好きだ。初めて行ったアトリエに行った際は服屋がこんな豪華な内装かと少し驚いたな。
何が好きかってイギリスの謹厚で禁欲的な雰囲気の中から少しだけイタリアの柔らかく官能的な男性の色気が醸し出されている所だ。
構築的で強い男性像を演出する肩と胸、上半身全体を美しく見せるドレープは気品に溢れ、ダイナミックで鋭いフロントカットも良い、彼がどんな男性像が最高だと思っているのかが良く分かる服だ。政財界を始め各界のVIPや映画スターなどが好む理由も良く分かる、特別なオーダーをしなくてもそのままパーティーや重要なビジネスやフォーマルな場に行っても溶け込み更に際立つ服が多い。女性の艶やかで高貴なドレスのようだ、勿論何でもかんでもがそうって訳ではないけどね。
目付のある生地を使いながらも着ると軽く包み込む着心地もとても良く、着る程に身体に馴染む感じも良い。きちんとその人に合わせパット入っているのでカッチリするし当然の事ながら作りも非常に丁寧で良い。
初めて作ったのはピークドラペルの3ピースだった、今でもとても気に入っている、着るシーンだけ伝えて後はいつもお任せにしているがフランネルのストライプを薦められる事が多かったな。

彼に限らず自らのスタイルを確立したマエストロ達はとても粋で艶かしい芸術的な言葉でものを語る、それぞれ好みなどは違うのだろうけど各々が思う理想的でこれが最高という男性像や世界観やエレガンスがあり、訪れた客をそれぞれの良さを引き出しながらその男性像を身に纏わせようとしてくれている、それしてそれが服の力であり自分達の仕事だと思っていると感じる。
ジャンニは良く映画俳優やそのシーンなんかを例え話に出しながら説明してくれていたな。昨年他界した同じミラノのティンダロ デ ルカ(Tindaro de Luca)も良く俳優や映画なんかのシーンや画像を見せながらこんな感じになるぞ、最高にエレガントで素敵だろなどと言っていたな。
不思議と彼とは外で会う事も多かった。アポイントまで時間があったのですぐ近くのカフェテリアで時間を潰していたところに現れ小一時間話し込んだり、店に向かう途中に会ったり、良く乗れるなっていう球体に近い体型で自転車に乗りながら現れたり、大概はパイプか葉巻を咥えながら飄々と現れる、その姿はお洒落で小粋なミラネーゼだった、懐かしい。

ジャンニ カンパーニャはシチリアの仕立屋からドメニコ カラチェニ(DOMENICO CARACENI)の1番弟子として腕を磨き、金の針賞、金の鋏賞、ファブリックカッター賞を受賞した傑物で、アルマーニやヴァレンチノのモデリストをしていた事からもそのセンスは仕立屋としてだけではなくグローバルなセンスとしても超一流だ。カラチェニの娘と結婚していた為カラチェニの看板も継いだ。店に入るとまずは既製服が並んでるのだけれど、いつだったかたまたまカラチェニのネームの付いた既製服が置いてあったので聞いたところ、ネームはどちらでも大丈夫だけどお前はよせよと言っていて、何か違うのかと聞いたらビスポーグするんだから別に何にも変わらないと言っていたな。
ま、故ドメニコカラチェニは僕の祖父や更にその上の世代の時代の職人だし勿論会った事もオーダーした事もないからそれがどうだとかは語る事は出来ないけど。A. カラチェニなら作った事があるので分かるが。

昔は日本でもトランクショーをやったり信濃屋、ストラスブルゴなどでも既製品も扱っていたな。息子のアンドレア カンパーニャ(ANDREA CAMPAGNA)も店をやっている、覗いた事がある程度だけど。
今はあるか分からないがカンパーニャのスタッフのアゴ ドーロ(Ago Doro)が中国で技術指導した生産工場のブランド、アゴ ドーロを昔日本のショップで1度見た事があるのだけど値段と質のバランスが非常に良かったと思う、ジャケットが8万円、スーツが11.2万円位だったと思うのだけど、今日本で売られている20万円台のものと比べても遜色は無いかそれ以上な出来が気する、それを考えるとカンパーニャのモデリストや生産管理能力が如何程か窺える。確かそこから独立した腕の良い職人なんかもいたな。

皆も北も含めイタリアのサルトリアが減っているのはとても寂しい事だが、その分母からするとミラノは壊滅的だ。店が残っていたとしても形骸化したサルトリアになってしまっている所が多い、これからはもっと減るのだろう。
イタリアはG8に入っている国ではあるが実際は後進国、住んでいると余計に感じる。特に南のナポリなんて衣料関係位しか産業も特にないから大変だ。
先日セリエA首位攻防戦のユベントスvsナポリで街中が仕事を早めに切り上げ観戦に沸いている景色を見ていると、そんな中でも熱狂できるものがあるのはとても良いなと思う、僕も友人宅で皆で観戦した。結果は3-1で負けてしまったが初めの1点をナポリが先制した時は凄い盛り上がったな、良い時間を過ごした。
米中貿易戦争もこのまま長引くともう少し影響が色濃くなるとEUというかドイツが更にダメージ受ける、金の為にEUを作ったドイツの金のせいでEUが崩壊するのか。ドイツと中国は昔から蜜月で最大の貿易国、そしてロシアと中国の金を繋ぐのはドイツの幾つかの銀行。この米中貿易戦争にヘッジファンドも当然便乗して売り崩しを掛けるから更にEUの株価が落ちる。日経でも1ファンドが2.3000円平気で動かせる時代だし、今やその動きと情報が重要になってきている。
今年初めからトルコを始めとする新興国への空売りも激しい、トルコリラなんて今年に入ってもう半額、そしてそこにお金をかしている銀行の株も暴落プラス空売りされている。9月は各所決算期も多いから一旦ショートカバーが入り戻してたりするところもあるが。特にスペインのBBVA、イタリアのウニクレディト、フランスのBNP辺りは少し危険な水準になり始めてきてるし多くの銀行は脆弱性を指摘され格付けもネガティブ落ちだ。勿論ファンドの狙いは最終的にはドイツ銀行と中国、更にドイツは国内情勢も良くない、ドイツ企業の株価もものによっては空売りされ暴落もしている、ドイツ銀行の株価は既にゴミだが慈航が仕掛けるのかね。日本に例えると…政治的には民主党政権時代末期のような不信感と混沌の中、移民で異国情緒溢れる街並み、国内最大の銀行である三菱UFJ銀行と最大の製造業のトヨタ自動車が破綻寸前、蜜月で最大の貿易国は貿易戦争で危機、ファンダメンタル的にはプラス要因はない。
貿易戦争ではアメリカでもウォルトンやカーギルやコークや後ろのファミリーの中には少々ご立腹な方も居るだろうし、主席も北戴河では怒られたのではないか。世界的な経済危機や恐慌ほどチャンスも多いし、崩壊後もチャンスが多いからそれはそれで良いのかも知れない、その方が色々な物事が淘汰され進歩するのだろうしね。それはそれで荒波の航海が楽しいのだろうな。

2年後、死ぬとしたら

昔からそう思って生きるようにしている。変に極端に考えている訳なくふとよぎらせる程度だが、例えば2年後に死ぬとしたらやり残した後悔が無いようにと言った具合だ。
死ぬ瞬間にアレをやっておけば良かったなんて思って死にたくはない、やりたい事は出来ているか、見たいものは見たか、友人との時間を楽しめたか、愛する人に惜しみない無償の愛情を注げているか、家族の未来の為にすべき事や慈しみ孝行は出来ているか、など上げればキリはないが、明日や数ヵ月と考えると極端になったりどうでも良くなったりするが、2年内と考えると割と大抵の事は具体的に現実化しその瞬間を大事にしたり楽しむ事が出来る。

実際に自らの死に直面したら全く違う事を思ったりしたりするのかも知れないけど。
しかし、やった後悔よりやらなかった後悔の方が尾を引く事が多いのだろうし、やらずに燻っていつまでも考えてるだけとか不毛過ぎる。勿論やって取り返しのつかないような事になり後悔してもしきれないなんて事もあるのだろうけど、そういった事は大概良く調べたり考えもせずやる事なんじゃないかなとも思う。本当にやりたい事や必要な事やものも良く分かる。幸い僕には今までそういった後悔をするような事はない、失うものなど大してない。
ちなみに僕は仕事というものには余り興味が無くて生活をする為やお金を稼ぐ為の手段としか思ってないしそういった部分でも顕示欲も自尊心も何もないので正直何でも良い、最小限の労力というか自分の出来る事の範囲内で最大限の効果が得られるものをその時々で臨機応変に選んでいるだけだから、やりがいやらやれなくて後悔というものはない、勿論これをやっておけばもっと儲かったのにと思う事もあるがデータの参考的に記憶処理するだけで感情は伴わない、別にどうでも良い。

つい先日9月18日、格闘家のYが41歳の若さで他界したとのニュースを見た、確か2年位前に発覚し再発での癌のようだ。詳しい事は分からないし彼の性格や私生活的な賛否は別として、傍から見れば健康的で強いイメージのあった彼のような人があっけなく逝ってしまうと更に自分も気を付けなければと思ってしまう。。。
実際会場で彼の試合も見た事もあるし盛り場で会った事もあるので余計に感慨深いものがある。
僕は昔から格闘技などが好きで良くPRIDEやK-1を観戦に行ったし、修斗や海外でもUFCやらオランダの大会やらも観戦に行った事もあるし、今も家で映画も好きだが格闘技も良く観ている。
このようにニュース等で知るレアケースがまさか自分の身に起こる筈もないと思う事はとても頭の悪い事だと思う、それは事件や事故であったり病気であったり何かの失敗であったり。
僕は18歳から人間ドックは毎年出来るだけ多くの項目を精度の高いであろうものを自己管理の確認作業としても受けるようにしている、結構な額にはなるがそれでも日本の人間ドックは値段的にも安くこれは世界的に見てもレベルは高いと思う、住んでいるイタリアとは比較にはならないから日本帰国時についでに受ける。MRA、MRI、CT、エコー、DWIBS、心電図、視鏡、マーカーや感染症や血液検査など検査項目は100項目以上見て貰っているし、若かりし頃発展途上国の更にローカルな場所にも行っていた事から受けられる混合ワクチンは大体今でも定期的に受けるようにしている。遺伝子による発症率も調べた。
幸い検査の結果も何の異状はない健康優良中年だ、ただ筋トレをしてる事でプロテインやアミノ酸やクレアチンを少し摂取しているので少しだけ高めの数値の項目もあるが範囲内だしそれは気にしてない。勿論毎年検査しているからと言って過信している訳でもない、受けた直後に癌発生するなんて事もあるだろうし検査では見付からないや見落としもあるのかも知れないから目安程度にするようにしている。
簡単な健康診断しかしていない人は毎年とは言わないが、2年に1度でも良いので精密な人間ドックは行った方が良いんじゃないかと思う、気付いてからでは遅いし手遅れなんて事もあるのかも知れないし当然金銭面でもその方が損失が大きいと思う、行ってない友人などにも口煩くない程度にいつもオススメしている。

最後に病気で病院に行ったのも16歳のインフルエンザの時だし、薬も最後に飲んだのは5年位前に風邪を引いた時に飲んだ漢方位なもんだ。別に風邪や不調にならない訳ではないが必要な栄養素採って養生すれば1.2日で治る。何とかは風邪引かないというより風邪を引いている事に気付かないって事もあるから、僕もその部類で気付いてない可能性も否めない。。。

身体を動かす事は好きだから健康の為ってよりは自然と楽しいからしている、小学校の時はサッカー、小学6年から中学終わりまではボクシング、高校からはキックやBJや総合をやっていて時期によっては行ったり行かなかったりってのはあるけど大人になっても気が乗れば通っている、別に本格的な感じではなく習い事程度だけど。後は山登りやハイキング、自転車、クライミングや水泳も好きだな。20代前半の頃付き合いでゴルフもやっていた事もあるがコースも1度も楽しいと思った事はなかったから僕の趣向には合わないかその楽しみを感じる前に辞めてしまったと言う事だろう。筋トレなどは中学の時から今でも最低週2回、何かに通ってない時は有酸素代わりにサンドバックかトレッドミルでランを週1回30分している、自分なりに無理なく続けられる範囲はコレくらいかなと、やり過ぎても逆に酸化や怪我もするし老化劣化促進させ寿命を縮める気がするし、所詮体は消耗品、特に腰や関節は消耗するから大切にしないとね。

寿命と言えば年々平均寿命は伸びている、昨年は男女共に香港が1位だが統計によっては中国に組み込まれているものもあるので、抜くと男性1位スイス81.2、女性1位日本87.1、男女平均1位日本84.2。女性は2位のフランスが85.7で1.4差、男性は同じ1.4差だと16位のイギリスまで入るから余り大差無いように感じる。日本が長寿な民族というより世界的に長寿になりつつあるし、日本は割と平均なのだろうけど、貧富の差が大きかったり移民が多い国に関しては富裕層は勿論の事だけど中間層と貧困層ではかなりの開きがある、例えばイギリスやアメリカの富裕層と貧困層では平均寿命15歳以上、健康寿命は20歳以上の開きがある、平均寿命で15歳差とはかなりのものだと思う、アメリカの男性では上位1%は87.3、下位1%は72.3、女性は88.8と78.5、最富裕層の男女平均は89.4歳、富裕層を見れば分かるが実は男女寿命差は性別的な特性ではなく喫煙や飲酒率の差であるともされている。
富裕層と貧困層では食事を含めた健康管理や医療に掛けられるお金も意識も労働や生活の環境や度合も違うから当然なのだろう、長寿になる秘訣はまずは1%の富裕層になる事も1つの手段なのだろう。勿論貧困層でも長寿の人は居るんだろうけど。
健康寿命も日本でも75歳と伸びてきている、生きていても病院や施設で寝たきりや介護が必要な状態だと寂しいから、極力1人で自活可能な状態で長く居たいと思うから多少運動や食事などそれに向けた生活スタイルは計画的に営みたいと思う。

長生きをする為の食事や運動や精神面まで含めた生活スタイルなどは統計として出ているから現在のそれをやるようにはしている。
例えば100歳を超えるような長寿の人の特徴は、男性165-168㎝/女性159-162㎝、小太り(BMI22-26)、男性は禿、FOXO3遺伝子型を持ちインスリン濃度低値、腰回りが細い、第一子目、居住環境に植物が多い、夢を良く見る(睡眠誘発ペプチドが少ない)、血液型B型、 血圧がやや高めの人(160-90前後)とかなのだろう。
ま、こういった事は様々な研究や分析やエビデンスが出て毎年のようにコロコロ変わるのが常で、昨年の真実が今年の嘘や極端が真逆の事が良しとされる事も多々ある。
習慣なんかも色々言われるが、昔から言われてるストレスが無い方が良いとは思う。

今長寿と言われている世代と僕では食事も環境も違うから同じような歳まで生きられるとは限らないし、逆に医療や化学が進歩し更に長生きできるかも知れない。
進歩による場合はやはりお金持ちから長生きできるようになるのは当然で、長寿の様々なテクノロジーを享受するのにはやはり情報力とコネとお金が掛かるのだろう。現在でもありがちな話だが臓器移植でも先端医療や薬でもそうなのだろう、今は臓器だって培養やらスペア作りビジネスも流行ってる、良くあるのは相手との遺伝子の掛け合せなども調べ適合率が高い臓器を保持する事、貧困国でお金の為に子供を産む事を仕事とする人もいる。数年前某御曹司がアジアで代理出産で20人の子供を作ったニュースなどもあったな、普通はもっと巧くやるのだろうけど。実際僕の知人でもこれで臓器移植をし成功させた人もいる、もっともこれからこんな事をしなくても培養できるのだろうけど彼らのような人種からすればフルでスペアが揃ってる状態は魅力的なのだろうし、乗せ換え的な事も出来る事を夢見ているのかも知れない。ギルガメシュや始皇帝からの最後の渇望を追うのは人の性か。

僕は毎日が楽しい、とても幸せだ、だから健康で長生きしてもっと楽しみたいと思ってる。
これから先60代には60代の楽しみ、80代には80代の楽しみ、100代には100代の楽しみがそれぞれあるのだと思う。
それだけだ、楽しく幸せならそれで良い。別に人生に特別な意味も大儀も求めてない、写真も墓も要らない。

日本は便利で物質的に満たされているのだろうけど、精神衛生上良くないと思う。

これは東京や大都市に限った事なのかも知れないけど、24時間体制で1人暮らしに最適化され娯楽も多いから結婚も遠のくのも分かる話だな。8月末から2週間ほど日本に滞在していたのだけど、イタリアに帰ってくるとこの辺りの差はとても感じる。

前にも少し書いたのだけど日本には日本のいい所が沢山ある。
日本に居る時は基本的に昼夜共に人と食べるのだけれど、値段は別にとして美味しいお店が多くてとても楽しい。イタリアに限らずEU圏にある日本料理や寿司の店なんて大概は中韓が経営してるし味もマズい、ミックスされ見た事ない変てこな料理もたまに出てくる。日本ではイタリアン、中華、フレンチなど他国の料理も美味しいと思う、中華は別物だや細かい点を言えばキリがないが。
外食ばかりではなく友人宅や自宅で食事したり飲んだりもする、昔から料理作るのが好きだから全然苦にならないしそれも楽しいしね。

でも外食をしていてやはりここ3~4年気になるのは、SNSにUPするのだろうけどどこのジャーナリストやカメラマンだってくらいに写真を撮る人が多い。今回も何度か小さな料理屋やレストランや寿司屋なんかでそんな場面に出くわした、隣席で寿司が出てくる度に何枚も写真を取ったり、カウンターに乗り出して手元を取ったり、天ぷらとか溶けるネタでも写真優先したり、注意しても止まらない人もいる、しかも1品出る度に質問しまくりメモる姿は見ていて気持ちの良いものではないな、邪魔だ。ブランド品と同じで味なんて二の次なのか。
繊細な料理を出す店で香水臭い人もたまに居るがこれは止めて欲しい。大体その匂いに対して臭いか臭くないかは好みだし、香水の匂いが好きじゃないから余計に感じるのかも知れないが、僕は香水臭い女性はタバコ臭いのやワキガと同じ部類に入れてる、実際は身勝手にいい匂いだと押し付けてる分それ以下だと言う人も居るのだろうけど。
店側もインスタに載せる人達の心理に乗っかると客が来るのだからやるのだろうけど、味度外視で下品な料理出す店もどうかと思う。キャビア、ウニ、トリュフ、イクラ、フォアグラ、脂ばかりの肉、、、そんな成人病まっしぐらの痛風料理をUPしてどうするんだろう、それが美味しい料理だと思ってる訳ではないんだろうけど、金銭的な意味ではなく貧しい幼少青年期を過ごしたのか、寂しい世の中というか大変だなと思う。
ま、若い子がやってるなら分かるが30越えて飯屋で写真撮ってるヤツは基本的に幼稚な人だろう、記念の1枚とかならまだ分かるが。
あとこれは皆言うんだけど日本人はお酒を冬だろううが年中氷水で飲んでる人が多いのも気になる、舌が麻痺って味覚も鈍って勿体ないな、焼酎だってストレートで飲んだ方がそのお酒の味がして美味しいと思うんだけど。お酒なんて無理して飲まなくても良いと思う。
雑誌で見たのか人に聞いたのか通ぶって大将に上からあれやこれや言う姿も何だか切ない、その客が帰った後に試しにさっきのアレって本当って聞くと違いますって答えも多い、ま、たまに怒られてる人も居るが。評論家の男とジャーナリストの女の組み合わせか、中々厄介だな。

料理に限らず下品な事は余り好きじゃない、例えば女性の胸元の空いた服なんて男性のタンクトップと同義でゴリマッチョのアメリカン脳筋セックスアピールと同じだろう。ジャニーズ好きだってロリコンやアイドルグループ好きと同じだろう、別に性癖なんて個人の自由だから良いけど僕は気持ち悪いと思う。

服装だって日本の若い女性は短いスカートにヒール履いたり娼婦みたいな格好をする人も良く見掛ける、娼婦は客を引く為に服装や化粧や持ち物で下品な色気をワザと出して商売女でお金掛りますよって表現してるのに思考回路は変わらないって事かな、それは艶やかや色っぽいって事とは違うとは思う。
男性の素足にローファー、最近じゃ普通の靴やダブルモンクなんかまで素足に履いてるバカが居るが凄く下品だと思う。街中や日常でショーツ履いてるのもどうかと思う。勿論夏の7.8月辺りなら百歩譲ってローファーくらいは良いかと思うが、春先3月から冬手前というか年がら年中やってるのはアホ丸出しだし止めた方が良いと思う、中韓が真似して更にデフォルメされる。

やはりコマーシャリズムの力は偉大だな。宝くじも広告出稿量に応じて売上が決まる。売る為に無理やり作られた着方や雑誌に踊らされて変な格好するより、そんな雑誌なんか見ないで、例えばイタリアファッションならイタリアの映画やドラマやドキュメンタリーなど服装がリアルに近いものを参考にした方が余程良いんじゃないかな。それはイギリスでもアメリカでもフランスでも、逆に日本でも同じ事じゃないかと思う。たまにイタリアの友人やサルトに日本のファッションを知りたいと言われた時に僕は雑誌やSNSを見せる事は余りなくて、大体映画やドラマなんかのスクリーンショットを見せる、その方が実用的なリアルなファッションに近いしそれが今のその国の人が考える良いスタイルを反映していると思う。

話は変わるが今回女友達と飲みに行った際に終盤ふと2つ相談されたのだが、こうも真逆に行くと修正も難しいなと思った。その子は随分歳下で俗に言う結婚適齢期、とりあえず早く結婚したいって感じなんだけど理想が高い。ハードルさえ下げれば簡単にそれなりの結婚なんて出来るのだろうと思うのだが。見た目は顔も非常に美しいしスタイルも良い、身なりにも非常に気を遣ってる、外資系でそれなりのポジションと収入もあるから余計にそう思うのも分からないでもない。
ま、単純に言えばお金持ちでそこその容姿でこなれた紳士と愛し愛され結婚したいらしいとので、昔当てはまりそう友人との飲みの中で自然な流れで呼んで紹介した事もある。
別にお花畑まっしぐらと馬鹿にしている訳ではない。
例えば僕の知る人や友人など所得の高い人の奥さんは俗に言う普通の人が多い、どんなに美しかろうとそれ目当てな人やハデ好きな女性は精々彼女や愛人止まりなんだと思う。でもそういうお金持ちと結婚したいと願う人に限ってそういう人達に選ばれない自己プロデュースし、都合の良い女や愛人止まりの女に寄せて行く。お金持ちと結婚し大事にされたいのにお金持ちが選ばない女性像を目指す愚かさ。勿論これまでの日本は真面目でまともに女慣れしてない男性ならそれでも口八丁手八丁で演技し騙せたかも知れないが、これからは変わってくると思う。付き合う、結婚、出産、その後など1段づつ男性にとって悪い意味で変わっていく女性は度合はさておき皆この部類じゃないかな。男女釣上げたと思う段階は違うのだろうけど釣った後に餌をやらないと死ぬのにな。男性は変わらない人も多いだろうに。もしくはその程度は些末な事だと思える人は良いとは思う。ただそれが女ってもんだって言い聞かせながらATMに徹するドMな人はそれを幸せと感じるのだろうか。大体昔のように家計を女性が握ってる事自体が変だと思う、金や資産の管理なんて男性の方が上手いだろうに。ま、そういった是非は女性には関係はないのだろう。
身なりに気を遣ってると言っても間違った気の使い方だと思う、流行の雑誌を見てブランド品に身を固める、エステに通いなど。家で飲んだ事もあるが結構良い家で家具なども良いものばかりだ。稼ぎがあるって言っても月手取100程度なんだろうからこれじゃ運用や貯蓄に余り回せないだろうに、人の金の使い方だから好きにすれば良いが友人として少し心配になる。
大体流行に敏感で意識が高くてブランド品に身を固めた相対的価値観に依存した女なんて誰も嫁にしたいとは思わないだろう、もっと使ってる金額の比率が低いのなら分かるけどその額貰ってて60%も消費するのはアホだろう。逆も然り、そんな男嫌だろう。
そんなの男女限らず社会性法則や同性への攻撃やポジショニングなだけで猿山に登るのと同じだろうし、女子力ってのは内助の功や家事や裁縫が出来たり、節約上手や家庭の医学知識があったり、マッサージが出来たりする事なんじゃないのかな。
しかも最近のそういった女性は男性のブランドなんかも価値判断基準する為に学んでるから卑しすぎる、そのスカウターで計れる部分って決して自分には向けられない自己愛的な部分ばかりだとは思う、これも逆も然り、伴侶は物ではないし思い通りにもならないものだろう。この女性は別に男の趣味が移った訳ではないがパニコやアットリーニやジョンロブまでも知っている、僕はそれアットリーニですねなんて言われたら一線引いてしまうけどな。
もう1つは整形しようかなっと。ま、これは冗談だったらしいけど。日本人は整形しない方が良いんじゃないかな、ボトックスみたいなものならまだ良いのかも知れないが、近代日本人はどこどこ産とか天然物や無添加無農薬など品質などに異常に煩いだろうから整形に嫌悪感を抱かれても当然承知の上なら良いが。最近は整形をしてる若い子を良く見るし、ゆとり以降の世代はそんな事気にしないのかも知れないな、確かに美醜というもので大概の事は判断されるのも事実だろうからする人の気持ちも分からんでもない。でも顔だから中韓のような金太郎飴というか量産型にするのは止めた方が良いんじゃないかな。ただでさえ日本人は髪型や服装や思考は量産型にしてる訳だしね。

ま、思想や価値観の問題で個人の自由なのだろうし、所詮類は友を呼ぶのだろうから引き合えばそれは楽しく幸せなのかも知れない。ただ飽きればいいがお金がなくなり散財出来なくなった時に何が楽しくて何に幸せを感じるのだろう。
その時は身の丈にあった事に切り替えて行くのか、周囲のバブル世代を見るとそれも難しい気がする、舌を肥えさせるなや足るを知る者は富むとは良く言ったものだ。
お金が有る無し関わらず寂しいというか心貧しい人が多いな、寂しさは人を愚鈍にさせる、だから高いものが売れるのだろう。。。

Sartoria Costantino サルトリア コスタンティーノについて

その昔Scarpino スカルピーノ時代に作った事がある、今は自身の名前を冠したコスタンティーノというブランドで展開している。
コスタンティーノの服は洗練されたクラッシクなエレガントさがある、肩や胸周りやウエストのシェイブなども非常に美しく構築的でカチっとキマる服だ。勿論綺麗で丁寧な処理でシーンも選ばず着れる。
若々しくエネルギッシュで力強い男性像やエレガンスを演出しするのに力を発揮してくれる服、彼自体もそうだ。

コスタンティーノ プンツォ(Costantino Punzo)はサルトではなくフィッター兼コーディネーター・プロデューサーで非常にクラッシックなナポリスタイルを好む、もう20年近く日本に来ているから日本人の体形や好みも熟知していて日本人が潜在的に好む提案を更にその人に合わせしてくれる、大学で数学を学んでいた事もあり利発だ。人柄も僕は非常に人懐っこく気さくなナポリ人といった感じで僕は好きだ、気遣いも細やかな紳士だ。
出張型のロンドンハウス(London House)と言った感じでトータルコーディネートも出来るから1ヵ所で済ませたい人にとっては非常に良いスタイルだ、実際ロンドンハウス出身だからそうなのだろうけど。
ジャケットやコートはフェリーチェ ヴィゾーネ(Felice Visone)、トラウザーズはモーラ(Mola)、シャツはルチアーノ ロンバルディ(Luciano Lombardi)、タイはフランチェスコ マリーノ(Francesco Marino)、革衣類はアルフレッド リフージオ(Alfredo Rifujio)が作成を担当し、靴はメルクーリオ(Mercurio)が一緒に来日している。それぞれも自身のブランドがあるから別に買う事は出来るのだけど、コスタンティーノのフィルターやセンスを通して日本人に合うように作成されるここでしか買えないものと言っても過言ではないのかも知れない、例えば同じ生地でモーラで作ってもコスタンティーノで作るものとはシルエットなど様々な事が違うのだろうし、ヴィゾーネでも同じ事だろう、特にジャケットやコートはヴィゾーネの服というよりはコスタンティーノの服といった感じだ。
ヴィゾーネはアントニオ パニコ(Antonio Panico)やマリオ フォルモサ(Mario Formosa)らと同じくロベルト コンバッテンテ(Roberto Combattente)に学び、その後は様々なサルトリアやロンドンハウスの下請け職人として腕を磨き、今はコスタンティーノに共感し専属なのだろう。
ヴィゾーネも中々腕の良い職人だがナポリでは無名なのだがそれはブランドとしてコスタンティーノの裏方に徹してるし性格的にそういった自己顕示欲もないからなのだろう、こういった腕の良い職人はまだ他にもいる、僕はそういった良い仕立てをする事に徹してる無骨な生粋の職人も好きだ、恣意的にメディアが押している職人に比べて余程腕が良い人が多い、まあその点は彼も否めないが。コスタンティーノはナポリでも聞けば名は出る、ま、それはもの良し悪しとは関係なく性格がちょっとね、、、と言った感じでだけどね。僕はとても好感が持てて気が合うしイイ男だと思う。
実際ナポリには500近くの仕立屋つまりサルトリアがあるが、きちんと看板を出してサルトリアとして営めている所は100位だ、それも近年どんどん減りつつある、北は殆ど近代化されて工場的な運営に変わってしまって来ている。

コスタンティーノはナポリの伝統やクラッシクなスタイルの思想的文化的な部分をも大切に思い提案するが故に好みが合わないというかピンと来ない人もいるかも知れない。
ナポリでもミラノでもローマでもロンドンでもどこでも良いが、その国や地域やそこの人々に根付き自然と連綿と繋がる伝統や文化の内に当然服飾なども含まれていて、その連続性と統一感がスタイルや〇〇調なのだから彼はナポリのそれを基調とした自分のセンスを提供しているのだろう。当然客もそれを求めてきていると思ってると思う。だが何でもそうだが日本では輸入した場合風俗化したり形骸化したりする事が多いし滑稽な独自な進化や使用法もする。MACの側だけ買ったりね。
日本では売る為に過剰にデフォルメされ作られたイメージやナポリ感的なものが、さもナポリであるかのように刷込まれている。彼からすればそれはそうじゃないんだよって事だとは思う、例えば彼に関わらず通常スーツならマニカカミーチャや目立つステッチワークは押してこない所が多い、クラッシクなナチュラルショルダーやコンケーブドショルダーが多い。これ見よがしに皺が入るようなハンド感の出ているスーツなんてワザとやっているか仕立てが下手なだけだろう。ビジネスで着るスーツでそういう仕様にするのはまったく知識がないというか、どちらかというと空気の読めない人だと思う。勿論単品で着るようなカジュアルなジャケットやバラしても着る為のセットアップならマニカやステッチで表情を出すのは良いとは思う。
コスタンティーノの所へ行くという事はサルトリアへ行くという事とは違うと思う。どちらかと言えば彼のセンスを買いに行く、彼にコーディネートして貰いに行くと考えて行った方が良いと思う、でないと余り行く意味がないような気もする。ロンドンハウスのルビナッチの所へ行くのと似ているが更にその気は強い。逆に言えばコスタンティーノのスタイル、肩の雰囲気とかが好きでもないのに有名だからと作りに行くのは馬鹿馬鹿しい。勿論人それぞれ好みはあるだろうけど、あれこれと変に指定せず着るシーンなんかを伝えれば体型やその人の雰囲気を考慮した最善の提案をしてくれる。自分がこの色やこの形が欲しいと思っていてもこっちの方が良いとかそれは似合わないとかも言ってくれると思うし、実際僕もお任せでお願いした。勿論仕事だし彼からの提案だから指定すれば嫌な顔なんかせずその通りにやってくれると思う。

自分の好きなイメージを思い通りに具現化したい人、優秀な縫製工場と捉えてる人はサルトリアなんかに行かない方が良い、それなら日本にもそういった優秀な縫製工場感覚で作れる所は沢山あるからそちらに行った方が、コスト的にも良いだろうし同じ日本人だし余程融通も聞くしイメージが具現化するとは思う、そういった誂え方はそれはそれで良いんだと思う。

僕は彼のセンスや考え方が好きだから全く問題ない。彼自身を見ても非常に素敵で彼に合ってる着こなしをしていると思う。今はSNSなんかでも彼の着こなしが見れるだろうから見て共感する人にはオススメだと思う。

僕の日本の友人もたまに行っているから帰国のタイミングが合えば一緒に行こうと言われることもある。僕はナポリでオーダーできるので、あえて日本で行くつもりはないが。とはいえ日本も年4回と来日頻度も高いしゆったりとした空間で色々話しながらリラックスしてオーダーできるとの事だ、一緒に居て通訳もしてくれる日本のエージェントのエッセチ(ESSECI)のKさんもとても良い人だそうだ。
今の形態になる前はBEAMSや伊勢丹を始めセレクトショップなんかで他のサルトリアと同様にトランクショーをしていたが、今は恵比寿のサービスアパートメントでトランクショーをしている。他にも同様形態でトランクショーをするところもある。BEAMSなんかでやってた時は少し高くなったと思っていたが、その友人に聞くと今は逆に以前より安くなったようだ。ショップの抜き額がなくなったからだろうけど非常に良い事だと思う。
靴に関してもローマのスティヴァレリア メルクーリオ(Stivaleria Mercurio)の2代目のメルクーリオ兄弟の兄アントニオが一緒に来ているから同じように色々提案してくれるだろう、ガットの技術もここでは継承されているからイタリア靴が好きな人には非常に良いかと思う。ちなみにアントニオの息子も靴の道へ、コスタンティーノの息子もサルトの道へ入ったようだ。前はナポリのパオロ スカーフォラ(Paolo Scafola)が来ていたと思ったが。
今年末からサルトリア パニコ(Sartoria Panico)ネームでも仕立てが出来るようだ、勿論彼の工房できちんと仕立てられている筈だろう。アンナ マトッツォ(Anna Matuozzo)も一緒に来日するというか伊勢丹と同時にやるのだろう、多分伊勢丹でオーダーするよりは少しだけ安めの設定にするとは思うが。マトッツォもパニコも伊勢丹でも最近取扱いがあるからならオレもと言った感じなのだろうか、ま、コスタンティーノがプロデュースするのならコスタ色も失わず得意な仕立ての違いやテイスト違いが楽しめて良いのだろう。

彼と初めて会ったのは彼が30代の頃だから随分昔だ、今は50を越えた位だろうか、聞く限りあのおちゃめなでユーモラスな性格は変わってないのだろうな。日本をとても気に入ってくれてるのはとても喜ばしい事だろうしこれからも変わらず来て欲しいと思う。
50ではナポリの職人業界ではまだまだ若造扱いされる部分はあるのだろうけどこれからのナポリの仕立て界を担う世代であるのは間違いないだろう。
7.80を越える去り行くマエストロ世代が生み出した価値を維持できるのか越えられるのか新しい提案が出来るのか、それはそれで楽しみな事だと思ってる。