日本の女性はブスになってしまったのか

良く今独身が増えたのはお金がないからと言うけど、実際は結婚件数が多かった昔の方が実質賃金や生活水準は低かったし関係ないと思う。
家電やコンビニの発達、価値観が多様化や先進国のさだめもあるだろうけど、やはり日本女性がブスになったから気乗りしないというのもあるかと思う。

僕の日本の知人友人でも離婚も含めれば4割位は独身。
今は生涯未婚率で言えば男性25%女性15%位か。2040年には5割が独身、4割一人暮らしになるという。

失礼な言い方にはなるが、単純に俗にいうブサイクやコミュ障、恋愛に奥手や興味が無いなどの放置しておけば、結婚しない/出来ないであろう同士を強制的に結婚させるシステムや社会的圧力がなくなったからだと思う。
もし強制的に結婚させれば大体は子供作るし、それなりに情が生まれて添い遂げると思う。

60年代後半結婚90万に対して見合と恋愛は半々、昨年60万に対して見合3万、離婚件数は3分の1。やはり減ったのは昔の形のお見合いかな。

イタリアは離婚するのは大変だから結婚件は少ないけど離婚率もとても低い。イタリアの女性は怖いしね、特にカラブリア。

少子高齢化は国力維持の為に大きな課題なんだろうけど、政策は的外れな気がする。
大体まともに民間経験の無い人たちが国を動かすなんて危うすぎるんじゃない。
有益な人たちが結婚して子供を作りたいと思うようにした方が良いと思うな。
もう変えられない流れなら、フランスのPACSとか税制を導入するのも良いと思う。

女性の社会進出に関しても良くアホなフェミニストが欧米では何ちゃらとかいうけど、欧と米では全く違うし、制度や数字とか目先だけ導入しても文化的に合わないだろうし長期の下拵えでマインドを変えてからじゃないとダメなんだと思う。
だから女性が収入を得られるようになった今も自分より地位や収入が低い男性と結婚する傾向は少ない。この下降婚率はスウェーデンやフィンランドなど北欧やカナダでは40%近く、アメリカやフランスやオーストラリアでも30%位。日本中国は15%以下、韓国に至っては一番低くて7%位。
原理的に狩った獲物=収入だからとか強い動物は個体数や子供の数が少ないとかはおいといて、北欧は昔から結婚し子供が生まれても女性が働く文化はあるけど、その国の女性が何と結婚してるか、男性を何で見て判断してるか分かるな。

売春は人類最古の商売であり、結婚は綺麗な売春とは良く言ったもの。
僕はお見合サイトみたいなものや結婚相談所が好きじゃない。それはまるで男性が風俗サイトの女の子のプロフを見るように、女性が男性を値踏みしていると感じるから。

そういえば数年程前、システム会社を営む友人に面白いものを見せて貰った。
真面目な出会い系や結婚系の十数サイトの男女の動向の違い。
統計のため各サイトに男女ダミーのプロフを3グループに分け大量に作り、アプローチを待ち、自らアプローチをしないユーザーにはこちらから送る。悪趣味な彼はそれを楽しんでいたのだけど。
男性から返信最多は、若くて美人や可愛い低収入女性、次いで性格の良さげに仕上げた容姿収入普通女性も割と多かった。不細工な高収入女性には殆ど来なかった。
逆に女性から最多は不細工な高収入男性、殆どがこれ。イケメンの低収入男性と性格良さげな容姿収入普通男性に1割づつきた。下降婚率と同じ位か。
高収入男性は性格良さげな普通女性を好む傾向だった、高収入女性は高収入男性。

ユーザーの検索や閲覧の動線を見ると女性は収入、次に職業、そして年齢。男性は写真、年齢、住まいの優先順位だった。

もう1つ見せてくれた物販サイトの場合は男女は逆の結果だった。
PCや家電などを見ると男性はスペック、これは書いてあればあるほど良い、明らかに不要な高スペックや用途内で最上。女性は画像、可愛いとかだね、後は新作、そして仕様は簡単そうな程に良い。勿論そこからコストなども考えるのだろうけど。
物販データは4ヵ国分見れたがこの傾向は日本が一番高かった。

物に関しての傾向としては男性は性能や内容、女性は見た目の良さ、目新しさ。
人に関しての傾向としては男性は見た目の良さ、年齢、女性は収入や地位などの条件。

男の服には蘊蓄が無いと売れないってのも分かる話。

男性:物 =女性:男性
男性:女性=女性:物
と、視点的には近しいのかなとも思った。

検索や閲覧という本音が見えるものでそういった動向が見れたのは非常に面白かった。
ま、何年も前の事だしweb上という性質もあるから現実に当てはまる訳じゃないかも知れないし、そういうサイトに登録する人はそうなのかもな程度だが。

IT社会になり昔と違い現代日本女性のブスな部分が色々と解ってきて嫌になってきちゃったんじゃないかなとも思う。
女性も自分で稼げるようになったから、無理して好みじゃない人と結婚する位なら独身で良いと思ってるんだろうしね。

実際僕の知る日本女性たちにそういう人達が多いのも確か。

ただ飲み会で男の方が多く払うのが当然的な訳の分からん事や女性だから的な事や、与えられる事や平等や優遇をあさましく求めるのは本当に日本の女性特有の醜態で、とてもブスだと思う。
何が恥かを知らなければ、何が品なのかも分からないだろう、それはとても寂しい事。

弱さも振りかざせば暴力だ。
満員電車の中、銃を突きつけられたように目を瞑り両手をあげながら乗るサラリーマンを見ていると、この国が如何に凋落し腐敗しているかを良く物語っている。
ブスで暴力的だ。

でも今の10代はその気は抜けてきてるし、勿論素敵な大和撫子も沢山いる、とは思う。

Sartoria Panico サルトリア パニコについて

僕は彼の仕立てる服が昔から大好きで、今でも良く仕立てて貰っている。

何が良いって、広く力強い肩と存在感のあるラペル、ボリュームがあり美しい胸のドレープ、とても立体的だ。
男の色気と渋さを際立たせ、着る人をたくましくエレガントな男に見せてくれ貫禄や格を一段上げてくれる。

わかりやすく言えば、ひょろい青びょうたんでも筋骨隆々のヘラクレスに見せてくれるという仕立ての真髄を発揮した服だ。

アントニオ パニコ(Antonio Panico)の事は先日他界したティンダロデルカ(Tindaro De Luca)と同じくイタリアの仕立てが好きな人ならその名を知らぬ者はおらず、彼の服を1度は着てみたいと思わぬ者は居ないだろう。

ま、とにかくカッコいい。
シングルもダブルもコートも全部だ。

前にも少し書いたけど彼は渋くエレガントな男で、気難しい芸術家のような一面もあったりするが、その実子供みたいにやんちゃでユーモラスでもある。比喩やジョークなんかも良く言うが、仕立ての話になると目が変わる。
真面目に話した時に見え隠れする尋常ではない覚悟に、生涯をその道に捧げた哲学に、その尊さに畏敬の念を抱かずにはいられない。ここ10年位で少し丸くなった感じがする。
ちなみに日本ではパニコと呼ばれているが発音はパニーコ。
娘パオラに弱い、そこがかわいい。

彼は客を力強くエレガントに演出しようとあれこれ提案もしてくれる。
また彼の色や生地選びなんかも僕の好みと良く合っている。やはり打ち込みの強い上質なヴィンテージ生地を好む。
仕立て映えがして長く着続けられるものだ。自身も30年前35年前に仕立てた服を良く着ていて、型崩れなってしてないだろ、私の服は50年は着れるや死ぬまで着れるが口癖で、僕はいつも
「じゃ棺桶にはあなたの服を着て入るよ」
などと言ったりしている。
でもそれでいて軽く柔らかい仕立てで、ふっくら包み込みながら吸い付くような着心地は、柔と剛を融合させる究極の仕立てだ。

逆に繊細過ぎる生地なんかは非常に嫌う。
たまに冗談で聞いてみるとそんなもんで作ってどうするんだ、せっかく仕立てるのに使い捨てにする気かと言う。
言えば作ってくれるんだろうけどね、でもそれは彼を侮辱してるようでとても言えないし、いらないな。

仕様に関しても同じだ、あれこれ下手に指定しないでお任せが一番だ。彼はいつもその生地で最大限にエレガントに見えるよう考えてくれる。
もしそれがそう思えないのならそれを着て学ぶのが良いと思う。

彼はナポリ仕立て史上最高にして最後のマエストロ、孤高の天才と称されるがそれは間違いないと思う。
幼少期よりジュゼッペ ルオトーロ(Giuseppe Ruotolo)、アンジェロ ブラージ(Angelo Brasi)、ロベルト コンバッテンテ(Roberto Combattente)に学び10代にしてその全ての技術を習得し、ジェンナーロ ルビナッチ(Gennaro Rubinacc)に誘われロンドンハウスにてヴィンチェンツォ アットリーニから引き継ぎその腕を振った。モデリストとしての能力も非常に高くKitonの型紙を作ったりサイドベントを考案したりもしていた。
長い歴史の集大成であり、最高傑作なのだろう。
まさにパニコの前にパニコなく、パニコの後にパニコなし。

70後半となった今でも朝から工房で鋏を奮うその姿を見ていると、やはりこれを残す事は不可能だと思い知らされる。

韓国の(Lamarche)でMTMをやっていて、これに関してはパニコの工房できちんと作られている。彼は他のサルトリアの様に外注などはしない。例え非効率であったとしても最高の作品を提供する事を求める辺りにも彼の並々ならぬプライドを感じる。
トラウザーズは作ってない。
孫のアルベルトもこの道に入ってる。

ただ時々カルドゥッチ通りやミッレ通りなどで彼を見かけると、何処か寂しそうな目をして歩く人並みを眺めている時がある。
それはナポリでさえ仕立ての文化は廃れゆき、最早止める事の出来ないその流れに美しかった時代を重ね懐かしんでいるように。

話していてそれを垣間見ると仕立て服が好きな僕も何故か当事者のような気持になってしまう。

日本でオーダースーツを仕立てるならどこがいいか 2

ときどき日本で服を仕立てたいと思うことがあるが、普段イタリアで仕立ている僕からすると値段設定が高いところが多いのが悩みどころだ。

実際の最低額の想定として3万円の生地代に消費税を足してみると。。。
更に良い生地を選択すればこれ以上の金額になる。

上木規至のSartoria Ciccio(サルトリア チッチオ)
 66万円
山口信人のLA SCALA(ラ スカーラ)
 56万円
近藤卓也のVick Tailor(ヴィックテーラー)
 53万円
甲祐輔のSartoria Cavuto(サルトリア カブト)
 52万円
小野雄介のAnglofilo(アングロフィロ)
 52万円
小山毅のSartoria Yamacci(サルトリア ヤマッチ)
 49万円
水落卓宏のDittos(ディトーズ)
 47万円
直井茂明のSartoria Naoi(サルトリア ナオイ)
 47万円
東徳行のSartoria Raffaniello(サルトリア ラファニエッロ)
 47万円
久保田博のBLUE SHEARS(ブルーシアーズ)
 45万円
有田一成のTAILOR&CUTTER(テーラー&カッター)
 45万円
服部晋の金洋服店
 41万円
中野栄大の羊屋
 41万円
船橋幸彦のSARTORIA YPSILON(サルトリア イプシロン)
 41万円
根本修のLID TAILOR(リッドテーラー)
 39万円
中寺広吉のbatak(バタク)
 39万円
松熊良太のPinorso(ピノルソ)
 38万円
テーラー森脇
 37万円
壱番館洋服店
 36万円
鈴木一郎のイチロウスズキ
 35万円
江利角卓也のKIRINTAILORS(麒麟(きりん)
 35万円
佐藤英明のペコラ銀座
 34万円
加納康弘のCOL(コルウ)
 31万円
山本祐平のTailor Caid(テイラー ケイド)
 29万円
銀座 英國屋
 27万円
中條敬のCoccinella(コッチネッラ)
 26万円
高橋純の高橋洋服店
 25万円
五月女泰彦のArmonia del Sarto(アルモニア デル サルト)
 25万円

参考までに生地代1.5万でトラウザーズも
尾作隼人のPANTALONAIO Osaku Hayato
 13.5万円
五十嵐徹のIGARASHI TROUSERS(五十嵐トラウザーズ)
 9.8万円

日本でイタリアのサルトリアでスミズーラする場合は当然トランクショーになるだろう。
それには2回の仮縫いやその為の渡航費・場所代・宿泊飲食・通訳代・輸入関税など様々な経費が上乗せられるから高くなるのは分かる。
でも日本人が日本で作るなら当然そういった経費は無いはずだ。

しかしこう見るとある一定の層の日本人職人たちは、他国やイタリアのサルトリアなどが日本でトランクショーをした場合の金額から逆算して値段設定をしているようにしか思えない。
他にも見えてくる事もあるが。
スミズーラのスーツが生活の一部、文化として育たない訳が良く分かる。
ナポリの有名なサルトリアのパニコやチャルディやソリートやピロッツィだって多少の値段の上下はあるけどある一定の価格レンジの中に納まる。良いスーツを作るコストにここまでの価格差はない。
って事はその一定の日本人職人たちは実際の価値よりも大幅に盛っているって事になるな。
この欺瞞、何も分からない客や日本人として日本の仕立屋で作ってくれている良い客を騙して毟るような行為が業界を未熟なまま衰退させる。
勿論家賃が人件費がとか色々な言い訳があるだろうけど、それはただの努力不足で無駄な事ばかりして非生産的なんじゃないかと思う。こんな額で売れてるなら本当に日本人はちょろいな、売れてないから単価を高くしなければやっていけないのかな。それとも質なんて分からないで値段のダガでしかものの良し悪しを判断できないからある程度高くしないと売れないほどに客が馬鹿なのだろうか。

現地で生活していても大体1ユーロ=100円位の感覚で使う。
エスプレッソは1ユーロで飲めるし、昼食も5~6ユーロ、僕が日本に居る時も昼食なんて定食屋で600円位だから大して変わらない。勿論アマルフィの広場に面したバルみたいな観光客が行くような店なら、エスプレッソ座って飲んで2~3ユーロとかにはなるだろうけど、それは日本だって同じ事。
例えばチッチオがピロッツィと同じクオリティだったとすれば、ピロッツィが生地代税込68万円でスミズーラ出来るならそこからの諸経費を引いた38万円でオーダー出来るべきなんじゃないかと思う。ピロッツィだってナポリで6800ユーロで売っているわけではないはずだ。
チッチオとか作りがどうだとかの話はまた今度にして、スーツ仕立ててこの値段はちょっと暴利なのは確か。
日本人職人でビスポークするなら生地代税込でスーツ27万円、シャツ2万円、靴25万円位が妥当な金額なんじゃないの、と思う。2回目からパターンや木型から起こすなら当然もう少し安くなるだろうし許容範囲なんじゃないかな、これじゃ全然楽しく嗜めない。

上に書いた日本の仕立屋で僕はまだ実際に仕立てたことがないけど、実物を見た事のあるものや羽織らせて貰ったものも幾つかある、中には全く値段に釣り合わないものもある。
真面目にどこで作ろうか色々探しながら数字作ってたら、とりあえず萎えた。
文化に根付いていない感が強すぎて、半分どうでもよくなった。

とはいえ、テイラーケイド、コッチネッラ、コルウ辺りは試してみたいなと思う。作りや着心地は分からないけど価格的も健全だと感じる。写真や色々なものを見る限り魅力的に見えるので、機会があればどれか試してみようと思う。

これは大切な事、ナポリに仕立てに来る日本人

僕も実際にたまに見かけたり来たという話を聞くけど、本当に馬鹿だと思う。

わざわざイタリアまで来る行為は執着しすぎで気持ちが悪い、愚昧だ。やめた方がいい。

それは普段の生活の中で自然にあるべき行為だからこそ意味がある訳だと思う。

それは行きつけのレストランへ行くように
行きつけのカフェテリアへ行くように
行きつけのバーへ行くように
行きつけの美容室へ行くように
行きつけの病院へ行くように
行きつけのジムへ行くように
行きつけのサルトリアへ行くように、、、
いっぱしの大人の男には当然全て必要だろう、日本ではショップや日本人サルトリアという事になるだろうか。

僕はイタリアの仕立てを愛しているし敬意もあるが、所詮は服は服。似合う似合わないは別として、これは人間としての精神性の問題で執着する事によって、それは洗練やエレガントや着こなすという事とはどんどんかけ離れて行き、コスプレ以下の行為となってしまう。
見た目という事に関わる事だからこそその気持ちの悪いフェティシズムに卑しさを感じる。それは自己顕示欲と相まって権威主義に向き、それを纏う事であたかも優越コンプレックスが満たされているかのような錯覚を起こしているのだろうけど、そういう人間はその言葉や所作から鼻を摘むような悪臭が漂う。

だからあまりあれこれ深い事は考えずにサラっと着ようよ、と思う。

先日サルトリアの友人との夕食時の一コマ
たまに日本人も来るのだと言う
友「なぁ、何で日本人は日本のサルトリアで仕立てないでわざわざナポリに来るんだ?日本には良いサルトリアがないのか?オレは彼の事を良く知らないし、日本へ行った事が無いし生活環境やその色合いさえ分からないから、彼にどんな服を仕立てるのがベストなのか分からないんだよ」
僕「ナポリの方が歴史や文化があるから良いサルトリアが多いのも確かだね、日本にも腕の良い職人は居るけど、一番は単純に日本人は舶来物や既に価値付けされてる高いものが好きなんだよ、昔から文化や価値を輸入に頼ってきたんだ」
「既製品もイタリアものの方が良く売れるよ」
友「それじゃいつまで経っても良くならないだろ」

サルトリアは、ただのブランド品ではない。
そのサルトリアが好きな人が、カフェに行くような感覚でサルトリアへ集まり雑談する事もある、社交場の一つでもある。良く仕立てに行った際に馴染みの客がふらりと遊びに来る、僕もふらりと顔を出しに行く事も多々ある、そして一緒に食事に行ったり友人になる事もある。

大切な事は一番初めに述べたように、それは普段の生活の中で自然にある事だと思う。

勿論色々試してみるのは大事だと思うし、流行りものが好きな女の子みたいな人も居ると思う。僕はどこか気心知れて落ち着けるショップやサルトリアに通う方が性に合う。

最近は日本に年通算で3ヵ月位はいるから、どこか自分に合うショップや日本人サルトリアを探してみようと思う。
僕はイタリアのものは現地で誂えるから目的は違うけど、例えばイタリアのサルトリアのトランクショーや商品など扱ってるお店なら、その理念や雰囲気や空気感を大事にしていたりする事が良いお店である事も判断する重要な目安なのかと思う。それが好きなプロフェッショナルがいる事や素直に相談できる事も大事だろうな、フィッティング能力は非常に重要だしね。きちんと客の事を考えて付き合ってるとこなら、押し売りもしないだろうし似合う似合わないとか逆の立場に立って考えて、はっきり言ってくれるだろうしね。後悔させない為の努力は大切だろう。

そして客もその店を大切にする事が重要だろう、いわゆる愛されるお店ってヤツだ。

日本的な表現をすれば質や価格やセンスに信頼がおけ長くパートナーシップが築けるショップやサルトリアって事になるかな。

小一時間リラックスして過ごせるお店、僕は喫煙者だからその辺も考慮してくれてるところがいいな。
そんな店はどこかにないかな。。。

Sartoria Attolini サルトリア アットリーニのジャケット

ナポリでは白髪の紳士たちが良い仕立てのジャケットを着ているのを良く見かける、皆無駄を削ぎ洗練されていて、とても粋でエレガントな装いをしている。

若かりし頃に仕立てであろうそのジャケット、年経て少し小さくなった身体にサイズが合わなくなっている人も居るが、その姿に侘寂と愛らしさを感じるのは僕が日本人だからだろうか。丁寧に着ているであろう事は容易に窺える。

一仕事終えた夕暮れ時のカフェテリア、偶然会った近所の初老の男性にその話をしてみた。彼は夕食に共に行く奥さんを待っているのだという。エスプレッソを片手にその男性はこのジャケットは30年前に初めて仕立てたもので、その時結婚前の奥さんが凄く褒めてくれたのだと嬉しそうにいう、少しサイズ直しをして今も奥さんとデートの時だけたまに着てると言っていた。素敵なチェックの寂れたジャケットだった。
奥さんと共に夕暮れの石畳の上を歩く後ろ姿は、それはそれはとても美しく快かった。

ふと自分が初めて買ったジャケットを思い出した。。。

今から20年前以上に買ったサルトリア アットリーニ(Sartoria Attolini)のジャケットだ。
とても気に入っていて、年に数回だけど今でも着ている。
ハイゴージ、ノッチドラペル、段返り3ボタン、美しいカッティング、バルカポケット、少しだけ丸みを帯びた2パッチポケット、マニカカミーチャ、袖口に向かい細く絞られた袖、4つ袖ボタンの重ね、ノーベントと、かのサルヴァトーレ モルツィエッロ(Salvatore Morziello)の弟子であるヴィンチェンツォ アットリーニ(Vincenzo Attolini)がロンドンハウスで創出したスタイルそのもので、どこか原風景のようなものさえ感じる。
素材はウールカシミア、余り覚えてないけど確か25万円位だったかな。それから何度かアットリーニでは買った事があった。

余談だがそのジャケットが凄く気に入っていたので、今から8年前位に再度オーダーしたんだけど、これまた残念、上がってきたものは全く違った。現物まで持っていったのにまるで雰囲気が違う。
もう既にその頃アットリーニのスミズーラは名ばかりのパターンオーダーで、工場の能力=職人の質が落ちていたのも確かだった。チェザーレ アットリーニ(Cesare Attolini)と名称が変わった頃、確か2004・5年位だったと思うけど一時経営危機で沈む船から多くの優秀な職人が降りてしまった。そのまま引退したものもいれば、他のサルトリアへ行ったもの、独立したものもいる。最近日本でもオーダー会をやってるアレッサンドロ グエッラ(Alessandro Guerra)なんかも独立した1人だ。

今のチェザレ アットリーニはほぼマシンメイド、ラペルの芯地だってミシン据付、これは着たときに固くなるし体への馴染みも悪い。この質で今の値段は高すぎると思う。ちなみにキートン(Kiton)も大差ない。サルトリアのスミズーラの仕立てを既製服へ落とし込み、ハンドとマシンを上手く融合させ最高の着心地を提供するというアットリーニの理念は失われてしまったかのように思う。その時以来アットリーニは買ってない。

服が増えた今、このジャケットの出番は年に数回程度だけど大切に着ていこうと思う。これより少し前に買った靴も未だに現役だ、ジョンロブのフィリップ、確かイタリアのボノーラが製作していた。エドワードグリーンのドーバー、共にも8万円位だったかな。今と比べると安いな。当時はルイジボレッリのシャツなんかも1.9万位だったかな。

今は日本でも色々と値上がりしてしまったけど、丁寧に扱えば長くもつし普遍性があり気に入ったものは買っても良いと思う。

僕はものを大切にしない人は好きじゃない。
それは過度に宝物のように扱うって意味ではない、過度に大切にする人はそれはそれで問題がある。逆にそういう人は実は人の事を大切にするが出来ない傾向にある。

年老いても奥さんとのデートに素敵な装いをするイタリア紳士の後ろ姿に、かくありたいものだと思った。。。

日本人に美的センスが育たない理由

僕は日本が好きだ、だけど帰国する度に思う事がる。

みすぼらしく軽薄で醜い街並み。
我が我がと目立たせる事しか考えていない下品な看板・広告・ネオン、、、

東京は特に酷いな、地方都市の方がまだ幾分ましだ。

日本人は美意識が低い。

東京は戦争で焼けてしまったとか、地震が多いとか、高度成長期や戦後の急激な人口増加だとか米中の日本文化破壊的な戦略だとかはあるにしろこの美意識の欠片もない街並みは如何かと思う。
激しい流行り廃りの残骸が散らかり、好き勝手バラバラに立てたであろうビルや家、センスのない下品な看板や広告やネオン、高架道路や所かまわずある電柱・自動販売機などが、更なるカオスな雑多感を与え不愉快にさせる。精神衛生上良くない。
この品の無い街並みが民意か、それとも前時代の負の遺産か。
もしかしたら、このカオスな発展途上国や新興国のような感性はアジア人の特有の民度なのかとも思ってしまう、日本の街並みは中韓と大差ないし、東京都心部や繁華街の写真を見ても看板に書かれている文字が違うだけで、上海なのか香港なのかソウルなのかバンコクなのか全く分からない。

国や地方自治体が国民の血税で作る箱物などは、例えば奈良の大仏や清水寺や伏見稲荷大社や伊勢神宮などのように、1000年先まで観光客が呼べる日本らしいものを作るべきだと思うのだが、実際は民間の作る奇抜で幼稚でデタラメなもの以下だ。日本人としての誇りやコンセプトを微塵も感じない。東京都庁を100年経っても美しいとは思わないだろう。

東京で家や部屋を探すときにはいつも悩まされる。どの建物も同じような四角い建物ばかり、低い天井に、コンクリート打ちっぱなしの牢獄みたいな壁に安物のビニール加工された木のような床、、、壁の色が違うくらいでどこも同じようなものだ。タワーマンションなんか住みたくもないけど低層でも中身は変わらない。一軒家もどこも似て冴えない。外観がこれじゃ内観なんて何も気にしてないのは当然だ、誰がこんなとこに住みたいのかと思うんだけど、皆住まいの事は気にしないのかなとも思う。

例えばヨーロッパは都市計画や建物の規律性や統一感がありしっかりしていて、奇抜なデザインな建物など許可はしない。歴史や文化伝統や自然を重んじ良い塩梅で近代を調和し都市化していてその国らしい美意識を感じさせてくれる。旧市街地や新市街地などの区分けもされていたり、建物の高さや傾斜や向き、様式、色や材料までも規制されているからこそ、その規制がない地域でさえその延長線上にある。勿論ヨーロッパの街もゴミ問題や落書きや老朽化してたりするけどね。
ただ歴史が生きてて統一的な美的観念を感じる。

しかしやはり日本人が元々美意識や美的センスが民度的にないとは思わない。地方には京都白川・高山・倉敷を始めとするまだ日本らしい美しい街並みが残り、東京にも近代建築でも日本の街並みに調和し溶け込んでいたであろう明治大正時代の建物が残っている、僕が懐古趣味とか関係なく100年前の写真など見ると今の街並みよりも美しいと感じる。

昭和という時代を鑑みれば仕方のない事なのだろうか。

何が言いたいか。
この低俗な環境からの美的経験の無さが、日本人の美的センスや美意識を育たたせない1番の理由だと思う。
日本人なら和装や浴衣などを着た事がない人でも帯位置やジャスト感など、幼少期からメディアから無意識層へ刷込まれてるから何となく分かる人も多いと思う、逆にそのようにこのような環境で育ては美的センスは育たたないだろう、西洋的な美も日本的な美も環境にはないのだから。
だから色合わせとか丈感とかサイズ感とか無茶苦茶なんだと思う、あと髪型が皆ダサい。

日本に限らず街並みが美しくない国の人間は総じて美的センスが低い。

例えばSNSなどでもこのブログに登場するようなサルトリアの名をタギングしているのは日本人や中韓ばかり、それを検索する人も同様だろう。素敵な着こなしなんてものは関係ない。下品で低俗な動機で街に氾濫する看板や広告などサインや主張と、その心は全く同じだ。

代官山・青山・銀座辺りがおしゃれなお店がある街だと言われているが街並みは全然洒落てないし、何でそんなとこでお店を開こうと思うのか分からない。そう言われるエリアだからとか昔からそのエリアに服屋が多いとかは惰性的な事はくだらない事だと思う、今は全然洒落た街並みじゃないだろ。類は友を呼ぶのか。特にサルトリアの商品なんてそんなところで扱うのは違ってるとも思う。

だから少しでも良い環境の地方のショップや地方で営んでるサルトには好感が持てる。文化的な部分までもきちんと大事にしてるんじゃないかな。

衣食住や生活に纏わる様々な事を文化的に営むという事が人生を豊かに過ごすと云うことじゃないのか、これは人間性や人生の話だ。

僕はイタリア系クオーターで小学校までは父の実家のあるイタリアで育ち学生時代留学していた。でも多感な時期はずっと日本で育ったから日本的な感覚が無いとかは違うと思う。
現代日本の環境とそれが与える影響については、昔からとても違和感がある。やはり何度見ても何度考えても美しいとは到底思えない。

もし日本で家を買うなら鎌倉辺りがいいかな。。。

サルトリアなんちゃらの既製品とかの話

日本でサルトリアのMTMや既製服(RTW)をよく見かける。

サルトリア ダルクオーレ(Sartoria Dalcuore)、サルトリア ソリート(Sartoria Solito)、サルトリア チャルディ(Sartoria Ciardi)、サルトリア サビーノ(Sartoria Sabino)リベラーノ&リベラーノ(LIVERANO & LIVERANO)、オラッツィオ ルチアーノ(ORAZIO LUCIANO)、アンブロージ(Ambrosi)、、、
上げれば切りがない。
しかし実際手に取って見ると、えも言われぬ虚しく情けない気持ちになる。

新宿伊勢丹メンズ館にはダルクオーレ、チャルディ、リヴェラーノなどの既製服がおいてあるが質の悪いマシンメイドの外注品だ。オラッツィオは皆ご存知の通りオラッツィオ自体が9割マシンメイドだからストラスブルゴや他で買おうが同じだけど。最近のハンドステッチミシンは性能がいいもんな。
アンダーソン&シェパード(ANDERSON & SHEPPARD)の安いセカンドラインも置いてあるな。
伊勢丹はオラッツィオとアンブロージを共地で作らせたり、ソリート丸パクリ日本人テーラー山口信人のラ スカーラ(LA SCALA)を展開させたりストラスブルゴの丸パクリ企画をして恥ずかしくないのかと思う。
伊勢丹が乞食するほどスタッフ力が落ちてるんだなと感じてしまう。
とにかく伊勢丹はまともに対応できるスタッフがいない。ってか4・5Fを外しまくったKバイヤーが日本橋に飛ばされたらしいが、この辺りはあのバイヤーの案件かな。
しっかりとしたものを扱えないならサルトリア商品なんてやめればいいのに。
ビームスからカモを沢山連れて来ますよ!とのふれこみで来た年俸お高いKさんはどうなんだろ。それでビームスはアットリーニのオーダー会はダメダメなんだとか。

ダルクオーレの既製はビームス、バーニーズ、B.R.SHOPやring、ブライスランズ、韓国などにもある。
なかなかビジネスライクでダルクオーレやるな、という感じだがサルトリアとは無縁な娘と婿が相当な銭ゲバだから仕方無いか。
サビーノは青山のスティーヴ(Steve)がやってたっけ。そもそも値段からしてサルトリアのフルハンドメイドではないだろうと思う。

他にもリヴェラーノはアローズとかだが、勿論外注。フィレンツェのリヴェラーノの外注策はナポリにもあると。まあリヴェラーノ自体が元々作りが良い訳でもないからいいのかも、ナポリ製リヴェラーノ。
青山のシャロンのソリートの既製は一応ソリート工房で作っているし、割とソリートの雰囲気は出てる。シャロンで扱っているシャマットはフルハンドの1stラインで作りは確か。チャルディは静岡のランバルディのはチャルディ工房でフルハンド。
アンブロージもブライスランズや韓国にも既製ある。しかし韓国のショップは更に酷いもんで間の工程抜いて安く仕入れる傾向がある。
韓国のシャマット(Sciamat)もマシンメイドの3rdラインのゴミ、これは伊勢丹も同じだったな。

そういえばアルフォンソ・シリカ(Alfonso Sirica)はアローズも扱うようになったらしい。
1度日本から撤退してシャロンで再開して評判良かったからかな、アローズみたいな大手がこれまた乞食バイイングとは。同じものなんて入れない方が良いし入れても分散して結局悪循環、焼き畑農業だっていうのに後先考えてないんだな。

というのも実は自分の日本の友人が上記に挙げたサルトリアのMTMやRTWなんかを買っていて、その工房でそのサルトが手をかけてしっかり作ってると思ってたようで外注先や仕入れ価格を教えたらショックを受けていた。
国産天然鰻(その工房でフルハンド)です的な雰囲気で売られていてお店の人もそう言う、値段からするともしかしたら国産養殖(その工房でセミハンド)かも知れないけど信じて買ってみたが、後で真実聞いたら中国のドブ川産のナマズ(外注)だった。
という事。
既に着た後にショックを受けるなんて着心地や作りの良し悪しとか関係ないないんだろうな、と思った。
これが本当の鰻の話なら一口食べて気付く人も多いんだろうけど、それも一度も鰻を間近で見た事も食べた事もない人にとっては所詮分からない事だから仕方ないし、だからと言って偽って売って良い訳でもないと思う。

ちなみにオーダー会で本人やフィッターが来て採寸して貰ったとしても外注の場合もある。

勿論MTMやRTWでもビスポークと同様の工程やセミハンドでもきちんと工房で作られているしっかりとしたものもあるが1割にも満たない。
実際に何度も工房を見たことがあるし、僕のナポリの友人の中にはこれらの工房で働いていたり働いていた事のあるものもいるから色々話も聞いている。どこも工房なんて小さいしそんなに作れない。
一部下請けもあれば丸投げ外注や2~3バラバラの所へ外注するなんて事もあったりする、元からすると見た目も作りも全然違う事もある。
例えお店側がサルトリア側に同じ作成費を払ったとしてもこれはありえる。つまりサルトリアとお店側の信頼関係が大事なんだと思う。
アットリーニみたいな既製服ブランドでもしっかりと作られているものと明らかにそうじゃないものがあるのは誰もが気づいているはず。
これは原価を下げる為のショップ側のオーダーなのかも知れないけど。

前途でも述べたけどそれっぽいデザインの服が欲しくてタグが付いてれば良いのなら買えば良いと思う。
ウナギ味っぽいナマズ。食べ慣れればそれが美味しく感じるのかも知れない。
でももし僕が客だったら高いお金出して買うんだから鰻かナマズかくらいは教えて欲しいと思う、僕はナマズと言われたら買わないけど、中には分かっていれば懐事情と相談してナマズ服を着てその気分を味わいたいって人も居るだろしね。
だって土用の丑の日は鰻食べたいんでしょ、社会的証明の法則の呪いか。。