毛芯がどうとか、襟付けがどうとか、本当にくだらない話だと思う

ナポリのブランドに限らず、スーツのブランドを考えるときに、日本人は必ずこういうことを基準に紹介する。

「フル毛芯」

「襟付けや袖付けが手縫い」

「そら豆型のアームホール」

「手間のかかる一枚襟」

だけどこういうことは、本当にくだらない話だと思う。

なぜならこのようなことは仕立て職人が考えることであって、一般の客が考えることではないから。

一度も服を仕立てたことがないどころか、仕立てるところを見たことさえない一般人がブログやらSNSやらでこういうことを語っているのを見ると、すごく不思議に思う。

関係ないし、理解できないことなのに。

しかもナポリである程度しっかりとしたサルトリアに行けば、そういうことは当たり前だ。むしろそのやり方によって仕上がり方が変わるし、その結果として生まれたシルエットや着心地こそ、一般人が考え評価すべきところだと思う。

それなのに

「フル毛芯」

「襟付けや袖付けが手縫い」

「そら豆型のアームホール」

「手間のかかる一枚襟」

こういう言葉というか仕様で表現してしまい、そこにこだわってしまうから、日本人は一向に服の良さが分からない。

これではナポリ郊外にチュニジア人と中国人を集めて同じことをやれば、いいスーツができるということになってしまう。

大事なのは仕上がりが良いか。もっといえば、その仕上がりが自分の好みかどうかだ。

それにしっかりとしたサルトリアであればそんなことは当たり前にこなしてくるし、僕を含め殆どの客は、その仕上がりの良し悪しを語れるほど精通していないだろう。

彼らに任せればいいのだ。

もしサルトリアの服ではなく、レディウェアのナポリ風の服を買うなら、そういう毛芯がどうとか、手縫いがどうとかではなく、着てみた雰囲気や着心地がスミズーラの服に近いかどうかで見れば良い。

なぜこんなにシンプルなことが分からないのだろう。

そうして見れば、スティレラティーノやディペトリロがナポリ仕立てなどでないことはすぐにわかる。逆にアットリーニがかなり良く出来たもので、ナポリ仕立てに近いレディウェアであることも分かるはずだ。

不感症だから、色々と理由や仕様がないと服を語れないのだ。

 

ちなみにビームスの中村達也氏などは、こういうことをよくブログ等で紹介している。僕は彼のことは好きでも嫌いでもないが、彼は理屈で考えるタイプの人なんだろうなと勘ぐってしまう。

理屈で服を考えるのは良いけど、ナポリに住んでいると、彼らはそういう風に考えていないということがよくわかる。

仕上がりが良くなるために、結果的にそういう仕立て方をしているだけなのだ。日本人は本当に几帳面に全ての仕様に名前をつけたがるが、彼らは必要なことをしているだけなのである。