ときどきSNSを見ていると、大人が靴を集めて写真を撮っている
「集靴」
の写真を見かける。
なんていう文化なんだろう。
まず日本人はSNSで絶対に顔を出さない。それは色々事情もあるし別に悪いことではないと思う。それなのに、靴を集めて写真を撮って投稿する。
本当によく考えつくなあというくらい、独特の文化だ。
僕はその
「集靴」
写真を見ると恥ずかしくなってしまう。
そもそも着飾った男たちが集まってファッション談義をしているのが、どうなのだろう。
ひっそりとした集合場所を決めて、人知れずやるのであればともかく、集団で夜の東京を闊歩しようものなら、ブフッとふきだしてしまう。
洋服はライフスタイルの一部でしかない。食事にこだわり、住む場所にこだわり、そして着るものにこだわる。だから着るものばかりが浮き彫りになっていると、非常に滑稽に見える。
それに、彼らはきっと趣味が共通なだけで、お互いに相手のことが大好きというわけではないはずだ。それは当然のことで、友達は気があうから友達になるのだ。共通の趣味といって集まって、必ずしも仲良しになれるわけではない。
そこには無意識に目を瞑っているのではないか、と僕は思う。
「いいですね」
と、思っていないのに言う。機嫌を取り合う。
そこまでしても連帯感が欲しいのが理解できないのだ。
「集靴」
はそれを象徴するものだと思う。匿名でも、相手のことが本当に好きでなくても、意見が食い違っても、繋がっていたい。そういう意思表示に見える。
ナポリの人たちは絶対にこんな集会はしない。もちろんサルトリアやカミチェリアなどファッション業界の人々には横つながりがあり、会って食事をしたりもする。
だけど彼らははっきりしている。
嫌いなやつは嫌い。好きなやつは好き。
いくら仲が良くても意見が違えば猛烈に言い合うが、相手のことが好きだから話題が変わればすぐに笑っている。機嫌の取り合いはしない。
はっきりしている。だから別にスミズーラ服が好きじゃなくても、仲が良ければ集まる。
そして彼らは何よりも家族と時間を過ごす。彼らが最もおしゃれに着飾るときは、奥さんと祝日にレストランやコンサートに行く時だ。
それこそ本当のお洒落の意味だと思う。