「古文・漢文」を大学受験から外すより、「英語」を外すべき理由

はてブでこんな記事が流行っているみたいだ。

anond.hatelabo.jp

僕は普通に日本の有名私立大学に行ったのだけど、英語、国語、世界史で受験したからセンター試験は受けていない。

それにしても、あの漢文と古文の無意味さについては確かに感じていた。

あれを暗記して何になるのだろう?

と思ったし、実際これまで生きてきて役に立ったとことはない。

しかし個人的には「古文・漢文」よりもむしろ、「英語」を大学受験から外すべきだと思う。

 

日本人の英語はゴミだ。

海外に出た日本人の多くは、英語が全く喋れない。

イタリア人やドイツ人など、ヨーロッパ人の若い世代は二十歳にもなれば、ある程度の大学に行っている学生など、非常に高い英会話力を持っている。

日常会話を難なくこなすし、喧嘩や恋愛だって母国語ではない英語でこなすことができる。

それに対して日本人の英語は本当にひどい。誰もが中高で最低6年間も英語を勉強しているのに、いざ英語で話しかけられると、苦笑いしながら「えー、喋れない」と日本語で言うだけである。

国際社会で競争力があるわけがない。

 

しかしこれは日本人が馬鹿だからではない。英語の勉強の仕方が悪いからだ。英語を大学入試のために勉強すること、これが悪の根源なのである。

この大学入試英語はコミュニケーションとはあまりにもかけ離れている。実際には使い物にならないゴミみたいなものだ。それなのに、中高生はこのくだらないゴミに大変な時間をかけなければならない。

実際に大学入試英語の何が悪いのか。

例えば日本の高校生はこんな文法を全員勉強する。

Hardly when / No sooner (〜するやいなや)

英語圏でも会話でこの文法を使っているのを聞いたことはない。英語で小説を読むなら必要かもしれないが、英語で小説を読む人口は日本人の何パーセントだろう。

つまり「古文・漢文」にも増していらない文法なのだ。

 

日本人は上のような極端に難しい文法を知っているが、友達と会った時に目をみて

「How's going?」

(元気?)

と言えない。そして挨拶ができなければ会話も始まらないから、一向にコミュニケーションをとることができない。

「Thank you」

と言われた時に

「You're welcome」

(どういたしまして)

と言わないヨーロッパ人はいないが、それをちゃんと言える日本人がいない。

また英語は他のヨーロッパ言語に比べると時制もなく、名詞の性もなくて文法はシンプルだが、発音とアクセント、そして聞き取りに関してはかなり難しい。

それなのに発音とアクセントを正しくできる高校の英語教師は見たことがない。オーラルコミュニケーションという授業は、まるで家庭科のような遊び扱いだ。

そしてイタリア人にさえ、

「LとRが一緒で、molto(とても)とmorto(死んでる)が一緒になってる」

と馬鹿にされているのだ。

 

実際、イタリア人やスペイン人などの英語をよく聞いていると、彼らの文法のレベルが非常に低いことがわかる。

He do とか You was とか平気で言うし、I buyed this など言って動詞の不規則変化など気にしたものではない。

しかし彼らは完璧なまでにコミュニケーションを取れている。そしてHardly when / No sooner という変な文法を覚えさせられた全く言葉の通じない日本人をのぞいて、英語の喋れる中国人や韓国人と友達になるのだ。

 

これで大学受験から英語を外すべき理由がわかるだろう。大学受験英語が日本人を海外で全く使えない人間にしている。

 

大学受験英語をなくす。そしてその時間で代わりに以下のことを徹底的にやる。

⑴コミュニケーションのルール(例えば会ったら必ず挨拶をすること、お礼を言われたらどういたしましてと言うことなど)を学ぶ

⑵発音を特訓する

⑶聞き取れるようリスニングを鍛える

⑷英語のリズムとアクセントを学ぶ

⑸実用的な単語と文法を学ぶ

 

「古文・漢文」のことをどうこう言うよりも、資源も少なく貧しい日本が生き残るために、「英語」を大学受験から外したらどうだろう。