自他へステータスをアピールする為とかいう貧しい人は無理して高い腕時計を付けるべきではないと思う

勿論月の可処分所得内でその場で一括で買える人は、それはその人のステータスで何ら不自然ではないので良いのだろう。

スポーツウオッチやごっつい時計は基本的にスーツやジャケットにはしない方が良いと思う。

当然時計にもTPOがある、フォーマルやONでは2.3針に革ベルト、勿論色などもある。
確かに今は3ピースを着る人が減ったように時代と共に様々な事もゆっくり変化をしているが、ある程度のTPOの許容範囲と言うものがあると思う。若者世代は機能に対して無駄に高いものには興味が無い人も多いだろうし、それはそれで良いと思う。社会人たるもの立場に合わせ良いスーツ・靴・時計しろとかはただの自分の刷込まれた間違った老害価値観の押し付けにしか過ぎないなのも間違いない。

例えば僕のメインとしている生業ではスーツなんて着なくていい、能力と結果以外は何も必要ない、メッキも心も無意味、勝者と敗者の2種しかいない、数字こそ全てでそれが正義。
僕は普段着として着たいから着てるだけ、着ると仕事モードになれるからとか気が引き締まるとかの精神作用も一切ない。
僕が時計を付ける理由も単純に好きってのや、あった方がバランスが良いという理由の他にさりげなく時間確認が出来るというのも大きい、やはり相手への配慮や自分としての色々な時間配分をしたいからね。だからチラ見一瞬で時間確認が出来る3針のものしか持ってない。

時計も身嗜みや装いの一部なのだからやはりTPOにそぐわないものは付けるべきではない。
例えばロレックス(ROLEX)のデイトナやサブマリーナ、パテック フィリップ(PATEK PHILIPPE)のノーチラスやアクアノート、オーディマ ピゲ(AUDEMARS PIGUET)のロイヤルオーク、ウブロ(HUBLOT)なんかのスポーツウオッチをスーツにしている人をアジア圏ではとても良く見掛けるがTPO的には合わないしスーツから覗いてるとダサいと思う。ラバーや金属ブレスがダメという事ではなくて、時計自体がOFFに付ける遊び時計でジャケパンスタイルにすら合わないだろう。
007ファンのボンドボーイなのかジェラルド ジェンタ(Gerald Genta)のファンなのか分からないが、パテックだからって、それは葬式にDiorだからって着てしまう勘違いしたティーンと同じ感覚なんじゃないかな、葬式だったら50万のDiorのスーツより2万のAOKIや青山の冠婚葬祭用スーツの方が良いだろう、スーツの形をしてれば良いって訳じゃない。例えボンドスタンスでこなせていてもだ。
スーツにバッシュや登山靴や、キャンプにロールスロイスやフェラーリで来たら誰がどう考えたってアホだし、これと同様の違和感を感じない人はメディアや雑誌を鵜呑みにし過ぎだと思う。


後は明らかにサイズが合っていない時計をしているのもどうかと思う、ケース幅が38.9mを越えるような時計は手首回17cm以下ではアンバランスに見える、170㎝痩せが30㎝の靴を履いていたらアンバランスに見えるだろう、これは足が大きいのなら致し方無い事なのだろうけど時計は自身の選択だろう。

イタリアではと言うかEU圏ではファッションへの意識が芽生える少年期でも日本ほど雑誌を見る機会もないから、周囲や街歩くお洒落な人や映画なんかが割と指標になったりする場合が多いから自然なスタイルが多い、TPOも自ずと染付くとは思う。更に日本では日本人とはかけ離れた体型の人種に明らかに実生活には合わない服装を着せて、羨望を抱かせる嘘八百でそれを煽り、使い捨てのスタイルを高く売る、そんな雑誌しか参考に出来ないからコロコロ一貫性がなく、10.20.30年前に買ったものが着れないのも当然、コマーシャリズムの奴隷だ。

 

僕の時計遍歴は中学生の時に父から貰ったお古のグランド セイコー(Grand Seiko)から、18の誕生日にはイタリア人の祖父から古いヴァシュロン コンスタンチン(Vacheron Constantin)を貰った。別にヴァシュロンと言っても高いものじゃない同じものを今日本の中古店で買っても30万位程度のものだろうし当時のEU圏なら15万もしない位のものだ。イタリアでは18歳で成人だからね。EU圏では流石に衣類等はないが時計などは子や孫へ受け継ぐというスタンスもある、これは日本でもある事か。

その後はパテックフィリップ、ブレゲ(Breguet)などを買った。と言ってもどれもシンプルな革ベルトの3針時計で似たり寄ったりだからそれは僕の趣向がただそうなんだろう、アウトドアやスポーツ用のスマートウオッチやGショックなども持っている。個々の話はまた今度にでも。
コンプリケーションやごちゃごちゃしててまともに時間確認も出来ない訳分からない時計も苦手だ、明らかに活用しない機能やスケルトンで中の機構が丸見えとかかもね。この辺りは工芸品として実用性よりそのもの自体に価値を見出してる人が買うのだろう、確かに複雑機構などの機能美は美しいと思う。

ただ正直時間のズレや水や衝撃への弱さ、パワーリザーブの短さなんかが気になる僕には合わない時計、遜った言い方をすればそういった類の時計を持って使う階層やレベルの人間ではないという事だろう。
あと僕は普通に夜街を歩いたり飲んだりするから、イタリアというかEUではそういう高価な時計を付けていけない場所も多い、強盗に会う可能性も多いからね。

最後に買った時計は5.6年前、確か2013年頃だったか。
グランドセイコーのSBGA092とSBGA089の2本、同じモデルの18KPGと18KWGの色違い。スプリングドライブのキャリバー9R15で平均月差±10秒(日差±0.5秒相当)まで精度を追い込まれ、パワーリザーブは72時間、耐磁10気圧防水性、上品なピンクゴールドに濃い目のブラウンのクロコベルトも気に入っている。18KWGの方はフォーマルなシーンなど冠婚葬祭やそれに合う服装用、18KPGは普段使い用で7割はこちらを付けている。
流石に並べてみると仕上げなどはパテックの方が美しいが、壊滅的にデザインなどがダサい日本の時計の中では良いなと思う。
あとはスマートウオッチなんかも買ったな。

腕時計はいつなくなるのだろうか。
1969年のセイコーのクォーツショックに駆逐され世界シェアの42%あったスイスの時計メ―カーは80年代には6%の7分の1にまで激減した、社数で言えば1620社から570社へ、3分の2が倒産や統廃合した。100倍の精度のものが中国製なら2000円で買える。スイスだけではなく世界の時計メーカーが駆逐された、衣料品ならユニクロと言ったとこだ。その為高級時計戦略で付加価値を刷込み生き残るしかなかったスイスの時計は、80年代以降、精度や機能という腕時計の本質的な価値でなく、宝飾品やアクセサリーやブランドとしてのステータス価値やイメージ価値に争点を変更した、負けというかダメを誤魔化し正当化し足掻き無理やり作られたとしても僕はその芸術性やセンスや最高の職人技術が好きだった。細かい蘊蓄や最近のアホなリセールバリュー文言なども気にはならない。
確かにグレーマーケットや並行輸入業者へ放出される金額を見ればどれだけ盛られているかが分かる。
僕はスイスでバンカーの友人と行き買うが日本より安い値札の更に半額となる、日本でも僕の友人達の通う有名店では似たようなものだ、こういう事は何でもこんなものか。

しかし時代は流れ、電波ソーラーも最早古い。
僕はたまにアウトドアや登山なんかも行くがその際は今はスマートウオッチを付けていく、街ではアップルウォッチを付けている人も良く見掛けるようになった。通話やメッセ、GPS、クレ、スイカ(Suica)やEdyやiÐや認証にも使え、更にその幅は広がり、スマホの様に不可欠な必須アイテムになった時に機械式/クオーツ問わず腕に付けるものとしては不要になるのだろうか、それとも両腕に付けるようなプロパガンダで生き残るのかというのを2014年のアップルウォッチの発表を見た時に思った。イタリアと日本ではそういった状況はまるで違うだろうけど。近未来的な映画ではそういったものであらゆる事を処理するシーンも良く見掛ける、スーツを着ていたとしてもという事はそれは想像に容易い事なのだろう。

最早それが使わざる得ない状況に向かうのなら、スーツに合うものも作って欲しいと思う。モンブラン(Mont Blanc)、ブライトリング(BREITLING)、タグホイヤー(TAG Heuer)などからも出ているがまだ付ける気にはならないようなものだ。

現時点には現時点のTPOがある、ものには似合う似合わないがある、やはり何でも主体は本人である事が前提でそこへ調和している事が大事だと思う。

例えばネクタイをした時や変えた時に、スーツを着た時に、靴を履いた時に、素敵ですね、と言われるのがお洒落だと思う。
そのスーツが素敵ですね、その靴はいいですね、そのネクタイが素敵ですねと言われた時は、実はそれらは浮いている、本人に勝っている、着こなせていない、相応しくないのかも知れない。
時計もそうでわざわざその時計いいね、格好いいねと言われる時は浮いているのだと思う。
そしてそのスーツは素敵ですね、その時計はいいですね、と言われたいと思う事はもっと愚昧な事だと思う。

日本の街やSNSでは自分よりもものが主体な寂しい人が傷を舐め合うように誘蛾灯へ集まる。勿論素敵な紳士も沢山いる、とは思う。