解放、この先生きのこるには

良くAI時代をどう生きるとかAIにより多くの仕事が無くなるって恒例のネガティブ情報商材を目にするが、僕はどんどん進歩している世の中が楽しい。不要な仕事は無くなって当然だし心理的にそれに抗おうと制約などで足を引っ張る人も居るとは思う。90年代後半からのIT時代の時もそうだったように勝手に浸透していくし過去の不便利な事皆なんて忘れるし、あれやこれやと考えても仕方ないから臨機応変に極力早くそれを享受した方が良いに決まってる。
勿論それにより現在の職がなくなり違う職に就き収入が落ちる人も逆に増える人もいるだろう、広義で見れば富の再分配は機能し世界での格差は縮まりつつある、近場なら中国を始め東南アジアの平均所得は上がり文明的になり寿命も延びている。日本の高い人件費を避けた結果当然そうなるだろう。

今の時代を見ると幼き日に思い描いた未来とは程遠い、僕が今の年齢になる頃には車は空を飛び月くらいには住んでる人も居ると思ってた、ガンダムもない、今でも近未来やSF系の映画は好きなんだけど。

しかし、IT革命を越えAI革命が来る日は近いだろう。

そのプラットフォームを決める開発合戦も既に数社に絞られた、それは現在MicrosoftやappleやGoogleが覇権得ているIT植民地支配と同じような事だから後はその活用やおこぼれに預かるのみだろう。

今は研究者ら自らが様々なものをダイレクトに使いツール開発をしているから進歩も早い。
一般的にもオープンソース、オープンイノベーションの時代だから、行政書士や税理士を使う人も減っただろう。ECサイトだって数時間で簡単に作れコンテナとAmazonなどのお陰で商品を見る事すら無く1人で運営出来る。既に目は出来た、今は手。中国や他国では無人でキャッシュレスのコンビニやガソリンスタンドも普通にあり、日本でも完全自動運転のタクシーやらが走る日は近いと思う。
北欧のようにキャッシュレス社会にもなるだろう、スウェーデン、ノルウェー、デンマークはGDPに対して現金使用比率が5%を下回り、スウェーデンでは現金使用率2%、クレかSwishなどは必須で現金では鉄道やバスにも乗れない所もある。デンマークも今国家を上げてキャッシュレスにしようとしている。
トレーディングも2023年以降は個人の投資家は、今もAI戦ではあるがその頃にはAIの強弱によりのみ勝敗が決まりほぼ勝てなくなると言われている、AIやIoTへの投資も既に遅めなのだろう、一部残し手仕舞も近いか、勿論先んじた情報や企業や事業への投資などは別な話だけど。

IT技術者の仕事の大半は人の仕事を削る事が多いのだろうが、プログラミングの自動化、フレームを作ること自体は人間の勘と経験量の処理だし、ソースの自動生成も簡単に行える今AIがプログラミング開発、ディープラーニングのセットをディープラーニング自体でする研究も進み、原因と結果を定めるだけ中のソフトウェア開発というルーチンは自動化されつつあるから、土方レベルでは己も不要にはなるだろう。

更にこの先に健康寿命が延びたり、80歳まで働く時代になれば、貯金がそこそこあって少しのお小遣いが欲しい75歳と20歳の若者が業務委託や請負として時給換算300円の仕事を取り合う時代が来るのかもしれない、今クラウドワークスなんてそんなもの沢山あるのだろうし。

中国辺りは3Dプリンターの技術は大分先行していてその誤差は0.003m、現在あるインクジェット以外にも金属系も大分作れる素材も増えている。
スーツもZOZOSUITの採寸や靴の木型も3Dスキャナーの所もある、Marvelous Designerなどのソフトも沢山あり3Dで採寸しイセ込まで計算しオートレーザ裁断、ある程度までオートで縫えるものもある。既に服飾専門学校では教えている。
海外の金持ちレイヤー狙いで3Dデータを伸縮する人型へ反映させジャストサイズで作る試みもある、作りは高度な技術を持った職人がハンドで、個々の左右差や癖や特殊な体型もカバーし顔も画像で見て当人との対比をも確認しキャラ再現率の高いものを作るそうだ。
僕は仕立て服が好きだが、いつの日かサルトリアのスミズーラもこのような方式で作られる日が来るのだろうか、カットや縫製をそこの職人がすれば変わらないし3Dデータを人型へ反映させ仮縫いしても変わらない結果なのかも知れない。

工場製の中途半端なものやそこそこのクオリティのものなどに関してはオート縫製になるのかも知れないし、例えば超一流と言われるサルトの作るものと比較して着心地やフィット感など全てが同じレベルだとして、50万円と5万円、単純にものとして見た時に本質的に変わらないのならそちらを買う人もいるだろう。

今あるような高度に処理的な業務、複雑なものを単純に判断する知識業務ようなもの、例えばこの人はこれに詳しいし長い間やっていたから出来るとかノウハウがあるから出来るものの、この結晶性知能の大半は現時点で人工知能は置き換えられ始めている。
長い新人研修や下積み10年とかして、ノウハウが蓄積され一人前になるという考え方は、その人の時間を10年分損失させている事になる、それを如何にして統計的に処理し共有し必要なものを与えていくか、人間が20年間教育を受けた上でその価値を使って行く、何かを備えて、何かをコツコツ真面目にやっていくとそれがやがて実を結んで、他人と違う価値になりそれによって対価や新たなクリエイティブが生み出せるって考え方自体がAI時代には相応しくない。

勿論人にやって欲しい事や代替が効かないものや難しいものも沢山あるだろう、オリエント工業にでも投資しようかな。

良く様々なものがITやAIに代替されて行く中、では何を楽しみに人間とは何かという話も出るのだろうけど、実際考えるのが楽しいと思っている人は極僅かだと思う。
レジ打ちや配送の効率化するのもテトリスと変わりはない。ポケモンgoでスポットを回しアイテムを取るのと、ウーバー(Uber)で客をキャッチ&リリースしてお金を貰うのに、関係性に違いはない。
どちらも労働の喜びや対価ではあるけど、別に頭を使ってる訳ではない、そういうような単純な知的処理の殆どをコンピューターがやる事によって、全員が共通して持つ同じような作業がダブる事がなくなる。この単純な知的処理の枠組みの外での仕事や好きな楽しみを見付けて行くようになるのだろう。
大体農業従事者が多かった100年前の人から見れば今の仕事なんて殆ど遊んでるようにしか見えないのかも知れないし、ついこの前までITや金融も虚業だハゲタカだゲームだなんて言われた時代もあった、何を言ってるんだと思ったが。

教育も変わるだろう、現在既にある視聴覚を補填するデバイスでもあらゆる言語は日本語に変換され見聞きでき、計算は解けた状態で見える、PCや簡単なソフトウェアで出来るような事は縮小化や精度向上は容易に想定できる、耳栓サイズやエレキバンサイズで骨伝導、コンタクトサイズでなんてそんなに遠い話ではない。言語コミュニケーションの原理を考えれば文字は書けなくても良いのだろうから、読書算盤は現在と違った方式でインプットされるのだろう。
英語を話したいという娯楽を楽しみたいなら習うべきだが、英語をツールとして考えてるのなら覚える必要はない。直近で使う人間が学ぶのはまだ良いかも知れないが、成人する頃にそういったものが確実に出そろうでであろう5歳児に英語を覚えさせるのは酷じゃないかな、15年の時間を無駄にする、だったら日本語での問題解決の為の論理などを深く習得させた方が良いとは思う。
僕はイタリアで日本人を見掛けるとたまに話しかけたりするが、今だってイタリア語が一言も喋れなくても翻訳機とGoogleマップや翻訳を片手に旅行して難なく楽しんでいる人も多い、スマホ1台だ、それがもっと小型化されたり相互疎通が取れるようになればもっと楽に楽しくなるだろう。

現在人間は教育を受け知識や技術を習得し死によってそれは失われる、子供が生まれれば0から同じ事をして労働力にしなければならない。人間は微分不可能な存在で、個々の知識は蓄積され徐々に進化はしている、どういう学び方が良かったのか、どういう知識を身に着けるのが良かったのか、何が悪かったのかなどの結論、アイデンティティーや学習データなどが遺伝子以外ではあまり次の世代には余り伝わらない、それを克服し子供に受け継げられるようにITやAIの技術は開発し進歩している。

特に日本社会はこれまで他人とどうやって仲良くやっていくかという事、ドリルの穴埋めをするような、ダメを押し付け常識を養成する為に教育コストを割き、大学まで行く教育を受けた人と行ってない人など教育や結晶性知能で格差が生まれるように人間は知識を使って格差を生み出してきた、それをテクノロジーが吸収してくれるなら、そこを人工知能や機械学習が代替してくれるのなら、そのようにITやAIが発展すれば、我々は個性やモチベーションを殺さずして人と仲良くできるのだろう。
他国のように正解のない問題の解き方や考え方を教えたり流動性知識を伸ばす方が良いかと思う。
また元の良し悪しは別にして画一的な教育や社会の中で上手く行かず苦手意識や劣等感が生まれていた人は、大抵その人に合わない型か合わないゲームで勝負させられてきたが合う型や合うゲームの中からやりたい事が選択できるのならそれは幸せな事だと思う。

例えば昔だったらpcを打つのにマニュアルを読んで勉強しなければならなかった、それを猿でも簡単に使えるようにしたのがスマホで、だからこれほど普及した。そういうのが使うのが易しいツールがある時に、何かをするのが容易になった時に、それならこれをやりたいと人に投げ掛けて行動を起こせる人間をどうやって育てるかの方が、その機械の使い方を習熟するよりはるかに重要だと思う。

モチベーションとクリエイティビティが重要で、今はもう単純な知識格差よりモチベーション格差の時代だろう、当然動機付けが内在的に発生しなければ格差は生じる。
やりたい事は何かあるかと問われた時にきちんと考えられた10個が言えるか、リスクを取るほどモチベーションがある人材が1番重要、原始的な欲求や原理で確信・革新的に動く人材、モチベーションがある所には知識と知恵と人材と金が集まってくる社会、日本でも一昔前の何とか族やベンチャーの社長を見れば分かりやすいだろう、勿論市場に投資マネーが潤沢か枯渇しているかでそれは厳選度合などは違う。ただこれをやろうという第一声をあげられる事が最重要で全ての始まりであり鍵であるのは仕事でなくとも何でも同じだろうけど。

今何かの前提となって話される人間性や人間らしさとは1600年以降に定義されたものであり、何で人間が考える事が楽しいと思うように教育されるかというと、機械化の流れに対抗しどうやったら人間というのは機械ではないかというのをベースに思考を組み立てて来たからで、人間は機械に出来る事と違い、自由意志を持って考える事が出来るっていうのを拠り所に人間性を定義してきたから。それは更に産業革命以降、ここ100年、日本では1960年以降位から誇大に加速しQOL(個人の人権・自由の保障度合い、身心の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、快適な住環境、十分な教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られ、個人の人生の内容の質や社会的にみた生活の質、人生に幸福を見出しているかなど)向上の為に的な事が労働と消費をさせる為に刷込まれてきた。
何かする為のプロセスは最早娯楽でそれを楽しみたい人がする事になり、自由意志を持って行動しないと人間らくないというような規範や批判がこの社会や自分の中に存在してる事がやがて自らの足かせになる害悪のだろう。強固な宗教が根底に無い国では余計にそうだろう。
デジタルネイティブがメインになっていく今は新たな人間性の定義が生まれる、もしくは人間性なんて概念すら無くなるのだろうか。

これからの幸せや楽しい生き方、僕は毎日楽しいし幸せな日々だと思ってる、これは30.20.10年前も変わらない。ま、これからも大して変わらないのかも知れないし、大きく変わるのかも知れない。いずれにせよ、楽しみだ。