月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。。。漂泊思いやまず。

スイスに行っていた、と言ってもチューリッヒはローマから飛行機で1時間半でほぼ時差も無く、東京から北海道や福岡に行く程度だから旅と言うほどでもないか。
昔から旅は好きでほぼ1人旅で30以上の国に行った、カメラも好きで行けば色々撮る。年に1度は行った事のない国に行くし同じ国でも違う場所に行く事や、日本に帰った際にも行った事のない場所へ1.2泊程度の小旅行は良く行く。最初の1人旅は高校1年冬休みの時の京都奈良大阪8日間だったな。今年はカザフスタン・ウズベキスタンへ行った、今はマダガスカルに行ってみたいなと思ってる。

しばしば人生は旅であると比喩される事があり

人間の幅を広げるものは3つ、人と会い、本を読み、旅をすることだ
世界は一冊の本、旅をしない者は本の最初のページだけを読んで閉じてしまうようなものだ
長生きするものは多くを知る、旅をしたものはそれ以上を知る
人生は恐れを知らぬ冒険か無だ
幸せとは旅の仕方であって、行き先のことではない

そんな事が言われるのも分かるような気がする。
勿論体験にお金を払うタイプかそうでないかという価値観もあるが、僕は貴重な体験は貴重な物よりも価値があると思ってる。それは学びに対しても近しい感覚なのだろう。
確かに旅はその過程にこそ価値があり、寛容・謙虚さや新たな視点を教え、人間そのものの小ささを悟らさせ、全く違う価値観や精神性、他国に対する間違った認識に気付き現実をありのままに見れるようになり、祖国や日常や友人や家族への愛やそれが何であるかに気付かされる事も多い。
勿論世界遺産やその国の有名どころも良いが僕は現地の人がローカルな場所や物事もとても好きでそれも楽しみたいと思ってる、だから一応大枠の計画やスケジューリングは調べ立て行くがその場その場で結構変わる、まさに適当に臨機応変にだね、実際現地の人に聞くとそんな場所に行っても意味無いよ、ここへ行けよとかここの飯屋は美味いよって聞くのでそちらに行く事が多いな。外国とは初めて来た人が快適に過ごせるように最適化され作られているのではなく、現地の人が快適に過ごせるように作られているのだろう、だから合わないや違和感や不便を感じると妙な嬉しさや好奇心を掻き立てられる。
旅はいい、別に現実逃避の為に行く訳ではない、希望と若さを胸に与えくれる、写真や覚えてる事以上に実際は潜在意識に刷込まれ戻ってきた時には変化を与えている。
何か新しい事をしたり、行った事の無い場所に行くのは時間の流れを知る事とその調整にもとても良いと思っている、行き道は新鮮でとても長く感じる、帰り道は既視感と惰性感を伴い早い、子供の頃は多くの物事が新しい情報だったから1日、1ヵ月、1年をとても長く感じられたのと同じでそれをする、近しい相対性理論の類かね。
花を見て美しいと思うか思わないかその人の心次第なのだろう、旅も同じで美しいや楽しむ心が無ければ何処へ行っても何を見てもそうなのだろう、それは全て同じ事か。
ま、全ては心の持ちよう、心持ち1つで旅に出ずその感覚をきちんと普段の生活の中で享受しながらそれと意識せず邁進し変化し続けられる人、例えば東京に居たってサハラ砂漠やアマゾンのジャングルをサバイバルし旅するとの同じ感覚を持てる人はも居るのだろう。

スイスへは何人か友人が居るのでたまに行くが今回は1日目はベルン、2日目はチューリッヒだったが共に昼食は友人ととり夕食までは1人で周辺を見て回った、7月辺りだとベタだがハイキングし自然の中で食事をしたりすると気持ち良い、今はもう大分寒い。EU圏の友人達の所へは2ヵ月に1度位はこのような感じで行く事が多い。

夜は友人の家に泊めて貰う事が多いのだけれど2日目に泊めて貰った友人の家で、夕食をご馳走になった後ワインを飲みながらその内の1人が最近ハマッているというマジックを披露してくれた。
ちなみにスイスのワインは凄く美味しくて好きだ、昔ワイナリーにも行った事もあるしシュプリングリ(Sprungli)のチョコレートと一緒にいつも買って帰る。99%国内で消費され1%しか輸出されないので馴染はないかも知れないが、ワインが好きな人でもし飲んだ事がないのならオススメだ。

肝心のマジックショーは中々のものだった、自分がそうだと思い込んでいるものを利用されるから中々分からないもんだ、タネ明かしをして貰えば見えなかったものが見えああそうなんだと思える事もあれば、それでも分からないものある。タネなんて大体大した事の無い事だ。

マジックでは様々な理論が駆使されている、マジックの知識が無く既存の自分の知識に頼って真剣に見れば見る程に分からない、注意の認知心理学や誤認誘導、ミスディレクションというのか、脳はすすんで騙される、見ていて非常に楽しいしそこから色々な事を学ぶ事が出来る。これはミステリー小説などでもそうだし、実際の現実の世界でも良く使われているテクニックだろう。
小説の場合は事件の真相が誰にとっても興味があることであり、それを見つけることが重要視される、事実というそれなりの理由・辻褄・価値・利益などがなければならないしあると思い込んでいる。けどマジックの場合は本当の事実は大して意味を持たないし、目的はイリュージョンというか虚構の疑似体験をさせ客を楽しませるという現象なのだから事実というのはただの1仕組みでしかないのだろう。観客にとって価値ある行動を促し、かつ疑念を持つことすら忘れさせ、その時に観客にとって無価値なところで適切に誘導させる。ミスディレクションは演技が始まった時から終わるまで常にかけ続ける、連続性のある滑らかで歪みのない自然な流れを崩さず最後まで一つの筋道を誘導しつづけ結果だけを与える。目立つものには人は注意は向くが数多くの路傍の小石の形は気にも留めていないし形なんて覚えていない。コインやサイコロを振るとかカードを切るとかポケットから何かを出すとか袖を捲るとか数字を思い浮かばせるとか価値のありそうな事の方には大した意味はない。
例えばミステリー小説での遺産相続なら1番疑われるのは1番利益のあるものだろう、そして2番目3番目と順にだ、怨恨かって事もあるだろう、っぽいって事、ただこの場合は大した事実も理由も無くていいのだから寧ろ最後まで名前も無き20番目以降の利益者が数人がささやかな気持ちや利益で行う、理解無き事とハッピーエンドが良い後味なのだろう。これは現実にもよくある事か、もっともらしいスケープゴートでのハッピーエンド、事実は小説より奇なりばかりだしね。ま、マジックも星の数ほどあったり同じ結果でもやり方の違いもあるのだろうけど。

人は見たいように見て、聞きたいように聞いて、信じたいように信じる。
自分がそうであって欲しいと思うようなものとして自分勝手に見る。。。自分に都合の良いように見てしまったり、無意識に見たくないものを見なかったり、わかったつもりで都合よく解釈を捻じ曲げ早合点し思い込みで結論づけたり、因果関係を狂わせても信念に合うような解釈をしてしまったり、それは自分の自尊心が気付かないようにであったり。大概は潜在意識から無意識的に行われる心理行動、感受性の低い人は何かを観察する時、自分の先入観や固定観念に合う情報ばかりを選別し受け入れることで自信を深め、自己の先入観が補強される現象がある、自分が望む物語に沿った真実を理屈こねて作り出す。納得したいのだろう、不安から懐疑や矛盾が生じないように物語を作りうまく説明がつけばそれ以上の原因究明をしなくなる、確かに納得は全てにおいて優先する感情だ。それでもしっくり来なければ興味を失うという除外法で解決する。何とか効果の話とかは別にいいか。。。

現実が推察した通りなら皆億万長者や成功者だろう、資産や所得の額という数値は正しさの1尺度としてはあるのかも知れないとも思う。

また旅やマジックの話からそれてしまったが、とても良い時間を過ごせて良かった。
普段はお堅いバンカーで働く友人のコミカルなトークとマジック演技に笑ってばかりで、3つ見たマジックの1つも分からなかったな、僕も習ってみようかな。